10

 リュイたちが酒を交わした翌朝。一行はゼクソン港で待機を余儀なくされていた。相手の本陣に切り込む前の情報収集役を、アイフリード海賊団が買って出た。ベルベットたちは少数だ。数に頼るやり方は彼らくらいしかできない。

 一夜明け、なにやら距離を縮めたように思える男連中にベルベットの顔が顰められる。とくにロクロウのリュイへの接し方はすっかり仲間内に対するそれだ。仏頂面が多い一行の中で、ロクロウはいつの間にやらムードメーカー的な役割を担うことが増えていた。ベルベットからすれば、いつ寝返るともわからない相手にムードもなにもないと思うのだが。それを止めさせられるほど、ベルベットとロクロウの仲が深いわけでもない。

 そんな彼女の思惑など知らぬ顔で、リュイは海賊団の団員の前に立ち、何事か話しているようだった。ガラの悪い連中と良家のお坊ちゃんが雑談をするさまにはなんともちぐはぐ感がある。
 団員からしてもそれは同じことで、毛並みの異なる男の登場に、海賊たちは一様に好奇の目を向けていた。ベルベットやロクロウ、マギルゥには無法者という共通項がある。しかしリュイからは一見しただけで品の良さが窺えるし、やんごとない生まれであることはすぐに察せられた。その上、元対魔士であるという。そこから導き出される答えは。

「流石副長! 対魔士を人質にとるなんて!」
 ……である。

 無論、人質という言葉にリュイが不満を感じないわけはなく。
「協力者として、ご挨拶させていただいてます」
 言葉節穏やかに、少々大きめの声で訂正をした。あの男あってこの部下あり、とリュイは思い知る。それにしてもあの聖隷、まさか海賊団に所属していたとは。

 リュイは港に泊まっている大層な船に目を向ける。賑々しい見た目で、海賊らしいとはあまり言えない。こうした見た目で聖寮の目を掻い潜ってきたのだろうから、凶悪なことだ。
「アイフリード海賊団ですか」
「お、知ってんのか」
 リュイの口から誇り高き船長の名が出たことで、船員は色めき立つ。通りがいいことは海賊にとって名誉なことだ。男たちを見下ろし(リュイはそう背が高いわけでもないのでこれは物理的な位置の話ではなく、彼の気位の話だ)、徐ろに口を開く。

「ええ。以前、私の家の商船が何隻かお世話になったと聞いていますね」
「あっ」

 海賊が商船相手にやることと言えばひとつである。リュイはかつて父が忌々しげに海の無法者どもの話をしていたことを覚えていた。今は船長の捜索を第一に掲げているが、海賊の本懐は冒険と略奪である。涼しげに細められる目に射竦められると歴戦の無法者たちの背筋にも冷たいものが通りすぎる。
 僅かに走った緊張の中、リュイはアルカイックな笑みのまま、お気になさらず、と付け加えた。

「父の船ですし。貴方がたは略奪と無作法がお仕事なんでしょう」
 それはどこからどう聞いても皮肉だった。しかしそれで怯むアイフリード海賊団、それで臆するベンウィックではない。

「おーそうだぜ! ビビったか!」
 貴族対魔士に向かってずんずん距離を詰めるベンウィックに、「行け行けベンウィック!」だの「負けんなベンウィック!」だの、男たちの無責任なヤジが飛び交う。港町にこういった種類の喧騒はつきものだ。それに馴染みのないリュイだけが僅かに顔を顰める。
 ベンウィックとリュイの距離はほぼゼロとなり、目の前には純朴そうな顔がある。いわゆるメンチを切る、というやつだ。挨拶に来ただけなのになぜこんなことに……、というのがリュイの心境だったが、それを理解してくれる者はいなかった。ベンウィックは彼のできる精一杯でリュイを睨みつけ、声を荒げる。
「それでお前の親父さんたちは無事だったんだろうなコラァ!」
「ヒヨったこと聞いてんじゃねえ!!」
 そんなヤジが飛んだころ。

「お前ら何遊んでやがる」
 ゆったりとした歩みで、アイゼンが街の方から喧騒の中へやってきた。

「ベンウィック、お前には情報収集を頼んだはずだったが」
 本物のメンチを受け、ベンウィックの顔が急激に青褪める。
「副長! 俺たち遊んでなんかないっすよ!!」
──副長。そう、聖隷アイゼンはこの荒くれ者たちを束ねる二番手だった。聖隷が海賊団の副リーダー。それを思っただけでリュイはいくらか目眩を覚える。つくづくこの男は規格外も規格外すぎる。こんな凶悪な視線を寄越す聖隷があってたまるか、とも。
「随分賑やかな方々ですね」
「お前もベンウィックで遊ぶな。こいつは単純なんだ」
「威圧してきたのは彼の方ですよ」
「なら喧嘩両成敗だ。……これ以上異論があるか?」
 アイゼンがぐるりと男たちを見回すと、盛り上がっていた空気は一瞬で収まり、一人ずつ場を離れていった。副長という肩書きは伊達ではない。アイゼンとしては、これでようやく本題に入れるというものである。
「あ、そうだ副長、検問の様子がちょっとおかしくて……、」

 やっと報告を始めたベンウィックに、アイゼンとリュイは耳を傾ける。
 彼が言っているのは聖主の御座の前に敷かれた防犯体制のことだ。一行の目的地である、導師アルトリウスの前にたどり着くにはまずそこの突破が必須事項だった。
 血翅蝶から得た情報では、検問を抜けるためには高位の対魔士である必要があり、聖寮の定めた規定を満たす聖隷を連れていることが結界を退ける唯一の方法であるという。即ちAランク以上の聖隷の同伴だ。

 昨晩の情報交換でそれを知らされたベルベットの視線は、すぐさま聖隷チームに向けられた。
 いま一行に加わっている聖隷はライフィセット、アイゼン、そしてビエンフーの三人。確認するとその誰もがAランクであるらしい。それでも頭数がひとつ足りない。自然と、ベルベットの瞳は裏切りの対魔士、リュイへ向かう。その刺すような視線を受けて一言。
「お役に立てずすみません」
「期待してないわ。期待したあたしが悪いのよね」
 リュイの薄っぺらい謝罪に食い気味でベルベットが吐き捨てた。

 そう、その条件では聖隷を所持していないリュイは全く役に立たない。ベルベットは、連れてくる対魔士を間違えたことを悔いた。
「あんたの誘導能力で聖隷を連れてくることはできないの」
「条件に合った方がいれば可能でしょうが……」
 現状で、聖寮の管理下にない聖隷を探すのは相当骨が折れそうだ。そもそも、聖寮側が課した結界突破のための条件は、一人歩きしている聖隷がいないことを前提として成り立っている。そこから考えてもフリーの聖隷がいかに稀有か、ということが窺えた。
「じゃあ奪うしかないってわけね」
 穏やかではないが、その方法しかなさそうである。

(聖隷をうまく対魔士の制御下から外すことができれば、あるいは可能かもしれない)
 ベルベットの策を受けて、リュイは考える。
 ビエンフー、ライフィセット、アイゼンの例を見てからというもの、きっと本来の聖隷の在り方はもっと自由であったのだ、という憶測がリュイの中で生まれていた。それを聖寮はなんらかの方法で口を利かない道具として使っている。そしてその事実を、導師アルトリウスが知らないわけはないのだ。
 一体何がどうなってそのようなやり方に落ち着いたのかは分からない。しかし何のために、となれば答えはあまりに明白だった。業魔に抗う力を人間が得るためだ。そのためには聖隷という種族をいくら犠牲にしてもよい、と判断したことで間違いない。

(理屈は通る、しかしこれでは……)

「──ああっ! 副長!!」
 リュイはそこまで考えて、ベンウィックのあげた声で意識を現在に戻す。

「どうしました?」
「ボーッとしてんなよボンボン! 副長がペンデュラムのヤツを追って行っちまったんだ!」
「はあ……?」

 どうもこのベンウィックという男は落ち着きがないのが通常であるようだが、それにしたってひどい慌てようだ。
「ペンデュラムってのはな、船長の手がかりなんだよ!」
 騒ぎを聞きつけたベルベットが、港の向こうから走ってやってくる。ライフィセットも一緒だ。
「追うわよ、鍵がいなくなったら面倒だわ!」

 それはそうだ。アイゼンがここで離脱してしまえばただでさえ足りない頭数が規定の半分になってしまう。ベルベットの危惧は妥当だろう。
 これが制御下にない聖隷の行動力か……。とリュイは思い知った。

 リュイたちが辿り着いた先では二人の男が対峙していた。一人は目的の聖隷、アイゼン。彼の上背に勝るとも劣らない体格を持ったもう一人の男。銀髪の聖隷。そう、彼もまた聖隷だったのだ。
 その二者がリュイたちの目の前でお互いに術を繰り出し合っている。彼らの足元には検問のために配置されていたのであろう対魔士が転がっているのが見え、リュイは同情の目を向けた。どうやら死んではいないようだが……。

 二人は互いの技を受け切って一歩ずつ距離を取る。銀髪の聖隷は一人きりで、他に仲間を連れているようには見えない。つまり彼もアイゼンと同じく聖寮の管理下にない聖隷ということだ。ベルベットもきっと同じことを思っただろう。男二人のいざこざに近付いていく。

「お前がアイフリードをやったのか」
 アイゼンの声色は低く、響く。一見すると平静であるようにも見えるが、内心ではどうかわからない。その質問に応える相手は飄々と言葉を紡ぐのみで、アイゼンの欲する答えを示すつもりはないようである。
「アイゼン、落ち着いて。そいつと組めば結界を通れるわ」
 ベルベットの第一声がそれだったのは、やはり彼女が業魔であるからだろうか。目的のみに執着しすぎている。明らかに判断ミスだ。頭に血が上りかけている男にそんな勝手な理屈をぶつけたところで……。
「俺は俺のやり方でケジメをつける」
──邪魔をするな。と二人分の声が吠える。

 ある程度予想した通り、ベルベットの持ちかけた交渉は決裂した。一考の余地すらなかったようである。リュイの傍らで、ロクロウが浮き足立った様子で刀に手をかける。戦いの匂いを嗅ぎつけて、わくわくとしている様だ。そんな彼の姿を見て、リュイも仕方なく己の武器を取り出す。最早避けられない。何故なら……。
「そう。じゃあ、あたしもあたしのやり方でやらせてもらうわ!」
 何故ならベルベットもかなりの好戦派であるからだ。

 三者が一斉に拳を合わせる。

 三つ巴という複雑な状況に戸惑う間もないが、ひとまずはこのいざこざを終わらせることが先決であろう。このままではろくに話し合いも出来やしない。そもそもこの素性の知れない聖隷が、話し合いのできる相手かどうかも怪しいところではあるが……。

 ベルベットの攻撃はほぼ無差別だった。アイゼンと銀髪の聖隷を同時に黙らせる最短の方法を狙っているのだろう。ライフィセット、マギルゥはそんなベルベットに援護する形で術を放つ。
 銀髪の聖隷が持つペンデュラムのしなりと、リュイの鞭の軌道が重なる。大柄な男だが、扱う武器の質は随分と繊細なようだ。

「水を差すなよボウズ」
「道を急ぐ身です、ご容赦を」
「人間ってやつはどうしてこう生き急ぐのかねえ!」
 男が軌道を掻き回すと強い突風が生まれる。鋭利な風の切っ先が四方からベルベットたちを襲った。……で、あるならば。
 リュイが鞭で地を叩く。高く、鋭い音は戦場に響き渡り、等間隔で何度か繰り返される。

 まず違和感を覚えたのは風の聖隷だ。
 数段階、自らの身体の動きが鈍っているのを感じる。目の前には痩身の対魔士。妖しく光るその瞳を目にして、何某かの妨害攻撃を受けていることを悟る。しかしそれは聖隷の力に由来するものではない。聖隷である彼にはそれがすぐに察せられた。これは個々が持つ意識に作用する力だ。【俺】という個人の所有権が目の前の男に移っていく……。
「ッだが、そんなナマッちょろい攻撃じゃ俺は死なねえぜ!」
 リュイの武器は鞭。極めて殺傷力の低い武器である。そんなもので撫ぜられたくらいで根を上げる男ではない。

「──じゃあこれならどうだ!」
 攻撃は引き受けた、とばかりに突っ込んできたのはロクロウの小太刀だった。リュイの術により視界が操作されていたのだろうか、聖隷の男にとってそれは不意打ちの一撃となった。上半身を負傷し、身を翻す。
「お前の武器イケてないってよ」
 俺も常々そう思ってたところだ、と戯けるロクロウにリュイはすかさず苦言を呈する。
「貴方のような野蛮な武器と一緒にされては困ります」
「はは! 野蛮か!否定できん!」
 二人の間に突っ込み役はいない。

 リュイから距離を取ったことで、聖隷は不調から徐々に開放される。まだ厭な耳鳴りが頭から離れなかったが、それでもさっきよりはマシだ。離れたところからの攻撃も、彼の聖隷術であれば十分射程距離だった。まずは不確定要素が多い対魔士の男から潰すのが定石だろう、と考える。
 男が術を放とうとしたその刹那。黒い影が彼に迫る。男がロクロウの攻撃を退けた先には死神が待ち構えていたのだ。リュイの視覚操作はまだ持続していた。
「要らねえ加勢しやがって」
 唸り声の正体はアイゼン。その拳が届くすんでのところで、聖隷の男もその姿を認識する。しかしそのどれもが一瞬のことであり、影を纏わせた拳撃に身構えるほどの猶予はない。アイゼンの眼は獲物を捉えつつ、男越しにリュイを見る。
 次いで僅かな違和感。何かがおかしい。アイゼンはそれを経験則から来る直感で感じ取った。

「加勢?ご冗談を」
 数歩先のリュイは無感動な笑みを浮かべていた。形こそ微笑みを象っているが、少しも気を緩ませてはいない。あれは猟る者の目だ。それがこちらを見ている。アイゼンがそれに気がついたときにはもう遅く。

 彼の拳は標的へ届くことなく、地を削るにとどまった。
 勝手に照準を逸らされたことにアイゼンが怒らないはずはない。じろり、と渾身の眼光で以って睨みあげてもリュイは怯まなかった。それどころか。

「喧嘩両成敗です。異論はありませんよね?」
 と、してやったり顔である。

「お前、根に持つタイプか」
「覚えがいいだけですよ。まだ続けます?」
 はた、と周りに目をやれば、地に伏せったアイゼンと聖隷を取り囲むようにベルベットたちがそこに立っていた。
 戦闘続行を決めた途端、四者分の攻撃が二人を襲うだろう。アイゼンと相手は互いに目を合わせ、身体の力を抜いた。降参の表れだ。リュイが眼差しを伏せると、やっと二人は目に見えない拘束から解放された。

「お前、業魔と組むのも大概だがな……、もっとやべえのと組んでんじゃねえよ」
「……誰と組もうとテメエに関係ねえだろ」
 ため息混じりの聖隷の言葉を否定しなかったことに、リュイは意外であるように思われた。思えば、一番初めにリュイの同行を許可したのもアイゼンだった。

「おいボウズ。お前この結界開けてどうするつもりだ?」
 武器を収めるリュイに聖隷が声をかける。その呼称には慣れないが、この男相手にはいちいち突っかかったところで意味はないだろう。

「目的は真実です。彼女の方は……」
「あたしは導師を殺すだけよ」

 リュイに続き、ベルベットが間髪入れずに言う。そんな二人の様子に銀髪の聖隷はニヤリと口角を上げる。
「まァ、ケンカに勝ったのはあんたらだ。協力してやろうじゃねえの」
 なんと。かくしてベルベットの思惑は上手いこといってしまった。不可視のバリアは揃った頭数によって難なく破られた。(その膜が、たった一人の少年聖隷が触れただけで壊れたように見えたのはけして見間違いではなかったろう。ただ、その場で不確定なことまで言及する者はいなかった。)

「あとはお前らに任せる。せいぜい対魔士どもを引っ掻き回してくれや」
 踵を返して立ち去るその背を、アイゼンが呼び止める。しかし飄々とした様子の聖隷の口からは何一つ確かな言葉は出てこなかった。ペンデュラムの手がかりがなくとも、容疑がかかっていなくとも、この男は怪しい。リュイにもそれは実感として察せられた。
「風のザビーダ、ただの喧嘩屋さ」
 そう告げられた名だけは、せめて真実であるようにと願うばかりである。