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 壊賊病を発症したものは簡易措置として一時同室に集められた。薬を入手するまでは人間組は絶対安静のはずだが、リュイは平然と患者たちの世話役を買って出た。彼には少なからぬ薬学の知識がある。海賊船のわずかな備蓄から適した材料を選び取り、煎じることさえできる。自らの危険を顧みない奉仕に海賊たちは驚くばかりだ。
 だがリュイからすれば弱者への奉仕は幼少のころから培ってきた貴族としての矜持なのである。なんの怖れも読み取れない冷静な表情で「そんな、礼なんて結構ですよ。弱者を助けるのは当然のことですから」などと宣われては病人たちは感謝と怒りが半々になった奇妙な顔をするしかないのだった。

 まさに不幸中の幸いで、壊賊病という奇病には陸の上では感染、発症しないという性質があった。レニードに群生する特効薬であるサレトーマの花を短時間で調達できれば船員たちが助かる可能性は十分にあるだろう。リュイ、エレノア、マギルゥは船に乗り込んだタイミングが遅かったからかまだ心身に症状は現れていない。結局彼らを含めたいつものメンバーが薬の調達係としてレニードへ降りることになった。準備を整えたリュイも一足遅れて港へ降りる。

 

 レニードは物静かな港町だった。しんしんと降り続ける雨は人の生活からなる物音を吸い取っていく。
「リュイ」
 真後ろからかかった唸るような声とともに乱雑に布が被せられ、リュイの視界が塞がる。初めのころはこれほど雑な接し方をされた経験がないためいちいち驚いていたが、もはや大きな動揺もなくリュイはその男へ目を向ける。被さった布を煩わしげに掻き分けて視界を確保すると、それはフードらしかった。
「町に聖寮が張ってるらしい。顔を隠しておけ」
 どうやらアイゼンは先んじて情報収集をしていたようだ。港の人間に物資を提供し、すんなりと情報を聞き出すのはアイフリード海賊団の常套手段だった。一般の人間心理をよく分かっている、聖寮の目を欺く手段のあまりに手慣れた様子にリュイは呆れたふうな声を出す。
「つくづく凶悪な集団ですね、貴方がたは」
「いまはお前も加担してるだろうが」
 その評価を気に入ったらしく、アイゼンが得意げな返答をしたためリュイはいっそう肩をすくめた。

 エレノアも同様に顔を隠しながらレニードへ入る。この中で一番聖寮から身を隠すべきなのはベルベットのはずだが、幸い彼女の外見情報までは伝わっていないようだ。交戦中ならまだしも、ベルベットのどこを見て秩序を脅かす魔王に見えるというのだろう。霧雨が満遍なく降る町は余所者を特別気にするふうもなく受け入れた。もともとレニードは港を利用した海運で発展を期待された町だ。排他的な空気ではやっていけない。しかしここ最近の聖寮による取り締まりにより海路での貿易は大きく制限を受けている。町全体に活気が見られないのはそういう理由があるのだろう。加えて近くの森林に業魔が現れ、聖寮から派遣された対魔士から町の外へ出ることも禁じられていた。町の人々は討伐隊の到着を喜んだが、それから進展はなく、生活は制限されるばかりだという。

「そんなもんで、もうずっと森での採集が出来てないんだよ。悪いけど」
 さも気の毒そうに町の商人が言った。マギルゥも悲劇的な声をあげる。
「どお〜りで話がトントン拍子に進むと思ったんじゃよ〜! 魔女が病死など笑い話にもならんわい!死神の呪い全開か!」
 まただ。「死神の呪い」。文脈や状況を察するにそれはどうやらアイゼンのことを指しているらしい、というのはリュイにも察せられた。
「ほかの村から取り寄せれば手に入るかもしれないが……」
 商人が言葉を濁す。それすら確実ではないのだろう。絶望的な状況だ。話している相手の素性を知らないのだから男がそう思うのも当然のことだった。
「ワァーグ樹林に向かうわよ」
 しかしベルベットからはすんなりとそんな言葉が出るので、商人は仰天して口をあんぐり開けた。
「まあ、場所が分かればそれしかないだろうな」
 いままでベルベットの行動を見てきた面々にはごく自然の流れだった。聖寮の一方的な規則を破るのも未知の業魔を相手にするのも躊躇う者はこの場にいない。エレノアだって、聖寮に何某かの思惑があることを悟ったうえで、人命がかかっているのであれば多少の規則違反もやむを得ないと考えてしまうのだ。

「ご主人、さぞ苦労なさったことでしょう」
 恐れ知らずの旅人たちを引き留めようとする商人へリュイが声をかけた。目深にかぶっていたフードを片手で取り払う。毅然とした、しかし柔らかな瞳で男へ目を向ける。
「どうかご心配なく。貴方の憂いは私が引き受けいたします」
 私が、と言い切った。ベルベットたちからすれば樹林に潜む業魔をどうこうするかどうかまでは知ったことではないのだが、リュイはそうでもないらしい。統率が取れていないのはいつものことだ。ただリュイの貴族オーラに圧され、商人からそれ以上の非難があがらなくなったのでベルベットはそのまま好きにさせておいた。

 

「死神の呪いとは貴方に関係することなのですか?」
 リュイがひっそりとアイゼンへ尋ねたのは、町での一時補給とさらなる情報収集を兼ねて一行が散開している合間のことだった。それがいまの状況に関わっていることなら、聞いておいたほうがいいと判断したのだ。
 ただでさえ雨が降るなかで声をひそめられたため、アイゼンは訝し気な顔ごとリュイのほうへ向けた。
「いえ、貴方に対する悪口だったらよくないなと思いまして」
「違えよ」
 それだとアイゼンは堂々と船員たちから陰口をたたかれていることになってしまう。とはいえあれだけマギルゥが言いふらしていては尋ねられるのは時間の問題だった。アイゼンは大きくため息を吐くとその疑問に応えるべく口を開いた。
「俺の周りの奴らは大なり小なりの不幸に遭うんだよ。聖隷だろうが人間だろうがな」
 聖隷の持つ力は自然界と密接に関わっている。聖隷自身の意思に関わりなく、周りの事象に影響を与えてしまうことが実際あるのだ。アイゼンにとってそれを軽々に語るには呪いがしでかしてきたことはあまりに多く、大きすぎた。

 説明好きの彼がそれ以上の話を付け加えないのをリュイは意外に思う。そんなふうに口を閉ざされてしまっては、自分より何倍もの時を生きてきた彼の想いをリュイに推し量ることは難しい。
「やっぱり悪口じゃないですか?」
「なんでそうなる」
 この話題を出して相手にすんなり受け入れられたことはない。信じないというのなら無理に信じさせようともアイゼンは考えていなかった。自分にそういった性質があるのだから伝えているまでであって、アイゼンとて経験則で語っているだけで何かの根拠があるわけでもない。
「貴方の周りによくないことが起こるのは、それは悲しむべきことですが。それに遭った者たちがすべて特殊な力とやらで自分の意思もなく行動したとでも?」
 リュイの言い分は彼がこれまでのすべてを自己決定してきたという自信に裏打ちされている。それがいまのアイゼンには傲岸で、痛ましくさえ思える。
「俺の力はそんな生半可なものじゃない。現にお前だって……」
 言いかかったのを、リュイからの一途な視線を受けて取りやめた。
「いや、いい。もう行くぞ」

 会話を一方的に終わらせられたことを悟り、リュイはむっと眉根を寄せる。しかしその程度の抗議ではアイゼンを引き留めることはできない。
「貴方のその、自分の話したいことしか話さないのどうかと思いますよ!」
 仲間との合流地点へずんずん歩いていく背に向けてリュイは声をあげた。彼にしては珍しいくらいの声量だったのだが、海賊の男連中と比べれば子犬が吠えてるくらいにしか思われなかった。

 

 

 湿地帯を越えた樹林で、一行は目当ての花を手に入れることに成功した。
 それだけでなく、サレトーマの群生地にちょうど結界を張られていたために、レニードを騒がせていた大型昆虫業魔も、結局成り行きで討伐されることとなった。全員から強烈な攻撃を受けた昆虫業魔はすっかりおとなしくなり、いまはライフィセットの手の中で時折蠢くのみとなっている。

「リュイも虫、好き?」
 それをじっくりと眺めているリュイに向け、ライフィセットは尋ねた。ちょうどアイゼンやロクロウが熱い虫談義を交わし合っていたあとだ。女性陣はそれをずいぶん冷ややかな目で見ていたが。
 かくいうライフィセットも、彼の手のひらには収まりきらない特大のクワブト(仮)を見ると心がわくわくしてくる。これが新種の虫かもしれない、などと言われれば余計にそうだ。普段しっかりとした大人の振る舞いをしている(ようにライフィセットには見えている)アイゼンとロクロウがあれだけ熱くなっていたのだから、リュイも例外ではないだろう、と。

「そうですねえ……、もう少し躾の利く生き物のほうが好みですかね」
 と、存外そっけない返事をしながらも昆虫業魔自体には興味があるようで食い入るように観察している。ライフィセットは少々重さのあるクワブト(仮)を彼が観察しやすいように持ち上げて見せた。リュイの視線はクワブト(仮)とベルベットが破壊した結界のあった場所を何度か行き来した。
「ライフィセット。ここに地脈と似た気配を感じ取ったのですね?」
「う、うん。いまもまだ少し感じるよ」

 リュイが考え込むのも無理はない。聖寮が倒すべき業魔を生け捕りにして、こうも厳重に閉じ込めておくなんて普通じゃない。聖寮の不可解な行動。いままでの起こったこととなにか共通することはないだろうか?
「……おい、喋ってないでさっさとサレトーマを飲め」
 リュイの思考にアイゼンの低い声が水を刺す。ここ一帯の花を摘めば船員にいきわたるほどの量はあるだろう。自分の分と思われる毒々しい色の花を突き出され、リュイは怜悧な視線を返す。
「貴方、本当は何か知ってることがあるんじゃないですか、私の疑問ばかり遮って」
 彼の言い分はもちろん、先のレニードでの二人の会話のことも含まれている。
「いつまでむくれてんだ面倒くせえな」

 互いに冷えた声で言葉を交わすのを、二人に挟まれる形になってしまったライフィセットが不安そうに窺っている。リュイとしては感じた不満を過不足なく伝えているだけで喧嘩などはするつもりがないのだが、仲間内の衝突とも思える行為はライフィセットの情操教育にはあまりよくないだろう。
「いいですよ。有難くいただきます。そのためにここまで来ましたものね」
 いくら言ってもアイゼンは自分がそうと決めたこと以外はどうやったって融通しないのだ。結局リュイが折れる形で場は収まった。
 サレトーマの花は甘酸っぱいラズベリーのような香りでリュイを誘惑する。その特徴は見聞きした通りで間違いない。

「リュイ、飲むのは船に戻ってからにしませんか……?」
 傍らでこっそり様子を窺っていたエレノアが口を開いた。
「でも、すんなり戻れるとも限りませんし、幸いサレトーマはこのままで服用できるものですよ」
 諭しながら、エレノアが躊躇う理由もリュイにはよく察せられた。このサレトーマ、非常に味が悪いことで有名である。香りは爽やかなのだがそれはまさしく疑似餌のようなもので、見た目も相まって、これで毒草ではないというのが信じがたいほどだ、と経験者は口々に語る。それを知っているのにリュイは平然とした様子だ。

「…貴方は平気なんですか……サレトーマ……」
 ほとんど泣きそうな声でエレノアは言う。彼女はこの花の経験者だ。対魔士たちの間で、新人を迎える際、これを飲ませるという通過儀礼がある。エレノアも例にもれずそれを体験した。ただ、リュイは入寮の仕方が他と違っていたのと、その出自から免れていたのだ。それを聞くとエレノアはより気落ちした表情でリュイを哀れんだ。
「壊賊病にさえ罹らなければ一生飲まずにすんだでしょうに……、本当につらいのですよ……」
「そうらしいですね。でも周りの対魔士でその味を知らないままなのは私だけだったので、実のところ気になってはいたのです」
「えええ……!?」
「あんたたち、飲むなら早くしなさい。まだ森に対魔士は残ってるはずだわ」

 やり取りを見かねたベルベットに窘められ、エレノアはごくりと固唾を飲んだ。
「わ、分かりました……。そうだ、良かったらみんな一緒に飲みませんか!?」
 エレノアの言うみんな、とはそれを飲む必要があるリュイとマギルゥのことだ。知的好奇心によってその気になっているリュイとは異なるものの、マギルゥの表情も余裕綽々といった様子で、エレノアは縋るような気持ちになる。そんな彼女の顔を見て魔女はニヤリとした笑みを浮かべる。
「儂は飲まんぞー。使役聖隷に飲ませれば契約者はその効能だけを得ることができるんじゃよ」
 お主も対魔士で良かったのう。とにたつくマギルゥの足元でビエンフーは大きく体を震わせた。反応を見るにマギルゥのよくやる手らしい。
「そんなッ!ずるい!」
「じゃがリュイ~お主は自分でなんとかせねばのう?」
「私だってライフィセットにそんなことさせません!」
 ライフィセットを引き合いに出されてはエレノアがそれを良しとするはずがない。いよいよ腹をくくったエレノアはそれでも一瞬躊躇い、それから一気に花を絞って飲み下した。リュイもそれに合わせる。途端に激臭と強い刺激が二人を襲った。

「ヴ…ッ!!!!~~~~~!!!!」
「……ああ、これは……、なるほど」
 その味のおぞましさにエレノアは悶絶し、蹲る。そのさまを見ただけでライフィセットは思わず震え上がった。ビエンフーは未来の自分を見るかのように、また別の恐れで顔を強張らせる。リュイはというと、片手を口元にあて、俯いたまま動かない。マギルゥがここぞとばかりにきゃらきゃらとリュイを囃し立てた。
「どうじゃどうじゃ? 幾人もの対魔士たちを苦しめてきた味は!」
「なるほど」
「いや、なるほどじゃなくて」
「…………なるほど……」
「あー駄目じゃなこれは」