17

 港は阿鼻叫喚の渦中であった。

 本来、悪味や刺激臭というのはその植物の生存戦略のための性質である。真っ当な生物であればそれらでもって外敵を遠ざける。なのにサレトーマときたら、病に対し優れた特効性を有する代わりにその味と臭いで人間に更なる苦しみを与えていくのである。その性質はまるで、「そう簡単に助けてなどやるものか」と人びとをせせら笑うかのようだ。その悪意の前に百戦錬磨の海賊たちが次々に倒れていく。それらを尻目に、リュイはバンエルティア号の居候たちに向き合っていた。差し出された紫色の花を見て、三人の部下たちはぐびりと固唾を飲む。

「なんだなんだ、聖寮の対魔士はそんなもんにビビるのかよ!」
「何も知らない貴様らと一緒にするな!」
 どこからか飛んできた野次にフェリペが返す。彼らが尻込みするのも当然で、なぜなら彼らは対魔士なので、皆この花の極悪な味はすでに知っているのだ。
「知らない者は恐れもないだろうな……」
 だからこれは知識と経験があってこそのものなのだ。そう居直りきった悪態を、海賊たちの騒ぎが掻き消した。
「そーれイッキだ!イッキ!」
 先ほどまでの苦悶の空間はどこへやら、いつのまにか海賊たちはそれをも一興としてしまったらしい。まるで酒の席のような掛け声まで叫びながら次々と花を飲み下していく。当然そのあとは最悪の味覚に襲われた者の呻き声があがるのだが、それもすぐに他の笑い声に打ち消された。

「ものには用量というものがあるのですがね……」
 呆れ声を作りながらも、海賊たちを見るリュイの眼差しからは安堵が読み取れる。

「早く飲みこまないとあの方々に全て飲まれてしまいますよ」
 それはいかん。男たちは顔を見合わせた。なにしろ命が懸かっていることだ。自棄っぱちになった海賊たちの勢いは凄まじく、リュイの言うことも誇張ではないと分かる。
 なによりこの忌まわしきサレトーマは他ならぬリュイが身を賭して持ち帰ったものなのだ。それを思えば、彼の信奉者たちからすれば、これ以上それを海の無法者たちにくれてやるのも勿体無いことのように思えてくる。

「貴方がたならできますよ。ほら、頑張って」
 リュイはにっこりと笑みを作ってから周りの男たちに合わせたリズムでイッキ、イッキと口遊んでは手を叩く。それが相手を鼓舞する合いの手だと、海賊たちの振る舞いから学習してしまったらしい。見様見真似で模倣するだけの手拍子は合いの手というよりはやや速度の遅い拍手といった風情だが、応援されていることに代わりはない。そこまでされては男たちには逃げ場はなかった。
 三人はほぼ同時にサレトーマを口に放り込んだ。途端、忘れもしない悪臭と刺激が、記憶よりも何倍も鮮明に彼らを襲った。
「リュイ様! 飲みました!」
「当然でしょう。子どもじゃないんですから」
「ですよねぇえ!!」
 服用したことが確認できればそれ以上の興味はないらしい。
 泣いたり叫んだりしながら忙しく甲板をあとにする彼らを見送ることもせず、リュイは残った船員を見回す。どうやら特効薬は全員に行き渡ったようだった。

「なあ! 副長は帰ってねえのか?」
 一通り水で口を濯ぎ終えたらしいベンウィックが駆け寄ってきて言った。戻ってきたメンバーの中にアイゼンの長身が見えないことに気づいたらしい。彼の行方について記憶を辿り、リュイは思案顔になる。
「ここへの帰路の途中で、またあのザビーダという男に会って……。それを追っていきました」
 あの聖隷の行動について、リュイはほとんど理解不能だ。なのであったことをそのまま述べる。
「はあ!? 何で一緒についていってねえんだよ!」
「何でって……」
 途端に怒声を浴びせられ、リュイの表情にあからさまな嫌悪が浮かんだ。それに構わずベンウィックはさらに詰め寄って続ける。
「そのザビーダってやつ、手配聖隷とか言って聖寮が行方を探してんだよ! ロウライネでメルキオルって対魔士が大掛かりな罠を張ってるって情報も掴んでる!そんなわざわざ挑発してくるなんて怪しすぎだろ!!」

 その言葉に、エレノアも僅かに顔を強張らせた。ロウライネとは、ここから北方に進んだ先にある対魔士の訓練施設だ。対魔士であれば誰でも、そこで能力に応じた聖隷を与えられ、戦うための術を身につける。

「だーっ!もうお前らには任せらんねえ! いまから動けるメンバーだけでも集めて副長を探しに行く!」
「海賊がぞろぞろと陸路でですか?」
「方法なんて選んでらんねえだろうが!」
 リュイの冷静な口振りは火に注がれる油そのものである。その涼しげな表情にいまにも殴りかからんという勢いのベンウィックだけでなく、サレトーマから回復を遂げた男たちが次々声をあげた。彼らはただでさえ自分たちの船長が行方知れずになっている。それを踏まえればごく当然の反応だった。

「……気持ちはお察ししますがね。全員で突っ込んでいってどうします。多人数の利点を活かしましょう、ベンウィック」
 珍しく彼らの想いを汲む様な物言いでリュイは海賊たちを宥めすかした。情報を持ってきた彼らよりも対魔士であるリュイのほうが内部の事情には詳しい。メルキオルの実力は言うまでもなくトップクラスのものだが、それを抜きにしても聖寮で最も油断大敵の相手だった。

「多勢が通用するような相手ではありません。寧ろかえって邪魔になるでしょうね。私がいま考えるだけでも何通りも撹乱方法を思いつくくらいですから」
「お前どっちの味方だよ!ゴラァ!」
 はっきりとそう言ってしまっては、一度大人しくなりかかった彼らに再び喧嘩を吹っかけるようなものだ。そもそも整然とした理屈を第一に考えられるようなら元から誰も海賊なんてやっていないだろう。リュイはため息が漏れそうになるのを飲み込んで、根気よく言葉を紡ぐ。
「勿論、貴方がたのことは味方だと認識していますよ。だから全滅するよりは分散するほうがいいと提案しているんです」
 海賊たちがストレートな物言いを好むのならそちらに合わせるしかない。
「そもそも私たち、一度聖寮相手に全滅しているんですよ。奇襲といえば聞こえはいいですがあれも単なる無策の結果ですからね」
「はっきり言やいいってもんじゃないんだけど?」
 ベルベットが業魔手を僅かに掲げたのをリュイは横目でとらえた。このまま問答を続けるのが建設的でないと踏んで、リュイは更に話を進めることにする。

「シルフモドキをお貸しいただけますか」
 シルフモドキとは広く使われている伝書用の鳥である。アイゼンがバンエルティアと連絡を取る際に何度か使っているのをリュイたちも知っていた。あのとき使っていたのは成鳥であったはずだが、ベンウィックの頭を巣代わりにしていつも一緒にいるのはまだほんの雛のように見える。
 リュイに目をつけられたことを悟るとベンウィックはその視線から小鳥を庇うように腕の中に隠した。
「あの妙な技、使うんじゃねえだろうなっ!」
 リュイの呪術は海賊船内にもとうに知れ渡っている。冷徹な対魔士は動物相手に何をするかわからない。その判断は間違いではないだろう。
「シルフモドキの扱いくらいは分かりますよ。操ったほうが簡単なことに変わりはありませんけど」
「それやったらマジで許さねえからな」
 ベンウィックの仲間想いは動物にまで及ぶ。やれやれ、とリュイは肩を竦めた。どうあれ、個別に行動するなら連絡手段は必要だ。小鳥は小さな瞳で二人のやり取りをしばらく見守ると、自ら身体を乗り出してきた。小さな身ながら自分の仕事を理解しているらしい。生き物の素直な行動にリュイは頬を和らげる。

「貴方の副長さんのために力を貸してくださいね」
 そう諭し、小鳥の嘴を指先で撫でると、優しげな手つきのそれを小鳥は受け入れた。ベンウィックの親心に反して、彼(あるいは彼女)のやる気は十分らしい。この船ではそれぞれの意志は何よりも尊重されるべきものである。それを身に染みて理解しているベンウィックは冷血な対魔士に副長と雛の両方の身を預けるしかなくなってしまったのだった。

 

 シルフモドキはリュイの白装束を新たな安住の地に選んだ。彼らは大陸間を移動することもできるはずだが、不必要なときは体力温存に努めるらしい。自分のマントを止まり木として利用されることをリュイもとくに咎めない。

 やがて一行は湿原を越えてブルナーク台地へと至る。湿地帯で散々塗れた靴に乾いた土が纏わりつくのに気を取られていると、リュイの首もとでシルフモドキがもぞもぞと身体を身動ぎさせた。
「どうしました?」
 声をかけられたのを見向きせずシルフモドキはリュイのもとから飛んでいく。その軌道は道の奥の入り組んだところへ入り込んでいっとき姿を消す。それを見失う前に一行は早足であとを追った。簡易テント、久々の人工物が目に入る。聖寮の駐屯地らしい開けた場所で仁王立ちする黒コートの中にシルフモドキは羽を揺らして収まった。アイゼンは緩慢な動きで一行に向き直る。
「お前らか」
 と、それだけだ。単独行動に対する謝罪でも、ここまで追ってきたことに対する感慨でもない。ただ、ベンウィックがまだ経験の浅いシルフモドキの同行を許したことは意外だったらしく、それが飛び出してきた先のリュイを一瞥した。

「船の連中にサレトーマは飲ませたようだな」
「ええ。それについては問題ありません」
 受け答えながらリュイは地面に横たわった人々を見渡した。アイゼンはなんてことない憮然とした顔で対魔士たちが転がる中で立っているのだ。
「俺が来たときにはこうなっていた。ザビーダの仕業だろう」
 質問を投げられる前に彼が先んじて言う。悪びれる様子の欠片もないのは流石といえるだろう。
「そうですか。それは幸運でしたね、この方達も」

 ザビーダはどうやら不殺にこだわりを持っている。これがアイゼンやベルベットたちが相手では命の保証はないのだ。実際、対魔士たちは意識を失ってはいるものの、全員息があるようだった。ザビーダが彼らと戦った証拠とも言えるだろう。聖寮がザビーダを追っている、というベンウィックからの情報を思い出す。
「ああ。あいつもこれが罠だと分かっているだろう。分からんのは俺を巻き込んだ理由だ」
 手を組むつもりがないならその必要はないだろう、とアイゼンがぼやく。それを一行はむむむと腕を組んだり、あるいは興味なさげに地面の小石を蹴飛ばしたりしながら聞いた。ザビーダがアイゼンを誘い込むことで何かを狙っているのなら、そこへ更にベルベットたちがついていくことは得策と言えるだろうか?

「迷いがあるなら船へ戻れ。俺はアイフリードの意思を確かめに行く。お前らにそれを強制するつもりはない」
 アイゼンの言い分は突き放すようにも諭すようにも聞こえる。そう感じたのはリュイの主観に過ぎないが。
「僕たち、アイゼンを助けるって海賊のみんなと約束したんだ」
 いの一番に答えを返したのはライフィセットだった。全員の視線が注がれ、小さな身体が背すじを伸ばす。ほう?と愉快なものを見たようにアイゼンは口の端を吊り上げた。
「そうだよね、リュイ」
「そうですね。約束したことは守る努力をしなければ」
 まだ幼い彼の心がけにリュイも同意する。

「ここで俺たちが帰ったら、人望がないやつだってザビーダから笑われるかもしれんぞ?」
「なんじゃそれ、面白すぎじゃろ」
 ロクロウが冗談めかすのも腹が決まっていることの表れだ。マギルゥの真意は相変わらずどこにもないが、ベルベットだって巻き込まれるのを承知でここまでアイゼンを追ってきたのである。海賊や聖隷がどうなろうと彼女には無関係だ。しかしメルキオルの目的を暴くことは、アルトリウスの目的を知ることに必ず繋がるはずだった。