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 リュイは再びテレサの私室を訪れていた。気まずそうに身を小さくするエレノアの隣で、いつも通りの穏やかな表情を作って佇んでいた。そんな二人を見つめるテレサの眼光は普段の数倍冷ややかだ。
 その視線が伝えることはただひとつ。

「一等対魔士が二人揃ってこの体たらくですか」
 つまり、そういうことである。

「申し訳のしようもないです」
 すぐさま返されたリュイの謝罪はテレサには上辺だけのごく薄っぺらいものに映った。テレサの顔つきが一層強張る。
「リュイ。貴方ははじめからあの業魔を捕らえる気がなかったように見えましたが」
「そんな! いくらなんでもそんな言い方はあんまりです」
 テレサの叱責に反応したのはリュイではなくエレノアの方だった。リュイとて聖寮の一等退魔士。自ら業魔を見逃すような真似をするはずがない。それがエレノアの信じる理(ことわり)だった。

「いいのですエレノア。逃してしまったことは事実ですから」
 そう言ってのけるリュイは殊勝なようにも見えるが、テレサの視線は忌々しげに歪む。
 リュイ、エレノアの計らいによってヘラヴィーサの人間に犠牲が出ることはなかったのが救いではある。それでもテレサの苛立ちを収めるには足りないらしかった。それに、話によればあの業魔の一行はそのまま王都を目指すというではないか。彼女の愛する弟、オスカー・ドラゴニアが守護する土地に、あの女業魔が踏み入るとあれば到底許せるものではない。

 エレノアにとっても凶悪な業魔を王都へ向かわせてしまったことは痛恨の極みだった。それにあの女業魔の外見。対面したエレノアですらそうとは気がつかなかったくらいだ、あの見た目では人間と区別をつけることは難しい。その脅威を思うと気は焦る。
「ええ。ですから無用な混乱は起きないでしょう」
「確かに、それはそうですが」
 反して、リュイのこの落ち着き振りはいかがなものか。テレサの詰りは過ぎたものに思えるが、彼も彼で悪びれなすぎる。振りだけでももう少し反省できればテレサから要らぬ癇癪をぶつけられることもないだろうに。

「王都のオスカーに文を出しました。彼によれば例の式典が行われる日も近い。王都は玄関口の警備に一層の強化を図ることでしょう」
 ペースを崩さないままにすらすらとリュイが述べる。その口調は先の失態に対する弁明の時間は終わったとでもいうように淀みない。テレサは軽く頭痛を覚えたが、この男の質は何を言っても変わることはないだろう。それにオスカーなら女業魔の外見も知っている。彼がいればその存在にもすぐに気づくことができる。

「そう…、式典。そういえばそうだったわね」
 リュイの言うそれにはテレサも覚えがある。
 聖寮のトップである筆頭対魔士、アルトリウスの導師拝命の儀式だ。王都ローグレスでも絶大な支持を得ているアルトリウスの晴れ舞台とあっては、それは大層な式典が執り行われることだろう。だが、それがあるからオスカーは怪我を押してでも王都の守護に駆けつけなければならなかったのだ。そう思うとテレサの心は翳りを帯びる。その陰を知ってか知らずか、リュイはまた口を開く。
「私も守護役に任じられているので、今日にでもここを発つつもりです」
「な、何ですって……、」
 テレサが驚きに目を開く。それ以上言葉が続くことはなかったが、その目は口ほどに訴えかけている。──私が駆け付けたいくらいなのに!

「テ、テレサ。仕方ありませんよ、ヘラヴィーサのために貴女がいまここを離れるわけにはいかないのですから」
「そんなこと、分かっています」
 第六感で危険を察したエレノアが宥めるような声を出すが、火に油だ。それでもテレサは立派な統治者である。すぐにでも弟の元へ駆け付けたい気持ちを抑えに抑え、理性的に徹する。
「これは貴方の汚名を晴らすいい機会ね。しっかり務めなさい」
 テレサは精一杯大人の対応をした。その拳が震えているのをエレノアにしっかりと目撃されてはいたが。
 これ以上居座ると姉君の機嫌をさらに損ねることになるだろう。リュイは恭しく礼をしたのち、速やかに部屋をあとにしようとする。扉に脚を向けた。
 その背後から声がかかる。

「それにしても。貴方、オスカーと手紙のやりとりなんてしているのね」
 間一髪のところでリュイの脱出は間に合わなかった。エレノアの顔が引き攣る。

「いつまでドラゴニアと対等でいるつもりですか」
「滅相もありません」
 体ごと向き直って真摯な言葉を返す。確かにランバートとドラゴニアが肩を並べていた時代も過去にはあった。その時の記憶がなくなるわけではなかったが、どれも過去のものだ。

「オスカーが人を身分で判断するような方でないことはご存知でしょう」
「ええ、そうね。確かにそうだわ」
 リュイに言われるまでもなくそんなことくらいは理解している。リュイが失墜したあともオスカーは変わらない態度で彼に接している。それが弟の尊重されるべき人徳であることも。それでも理屈ではどうにも説明できない気持ちは仕様がない。

「──エレノア。貴女も王都へ報告することがあるのではなくて?」
「えっ? 私ですか?」
 なかば他人事として静観していたエレノアが、自分の名を呼ばれて肩を揺らす。テレサの怒りはリュイに向けられていたのではなかったか。
「ええっと、そうですね。しばらく戻っていませんでしたから」
「そう。ならば明日にでもご報告にあがらなければね、今すぐに」

 テレサの語調は強い。つまり、リュイの一行にエレノアも同行しろと言っているのだ。それほどに彼を意識することが不思議であったが、この数分でこれだけは理解した。リュイはテレサの神経を逆なでするのが大層上手いと。
「分かりました……、」
 こうなっては仕方がない。エレノアを派遣したところで何が変わるわけでもないだろうが、わざわざテレサの機嫌を降下させることもないだろう。エレノアとしても自分がみすみす逃してしまった業魔の討伐ができるのならば願っても無いことだ。そうしなければならない責任がある。と思う。

「そう。では、行って。船はこちらで手配します」
 テレサが一声かければ、協力してくれる船はいくらでもあるだろう。弟のことさえ絡まなければテレサは非常に良い統治者なのだから……。