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「これはこれはランバート殿! お疲れ様です!」
「貴方がたも。お勤めご苦労様です」

 対魔士たちの緊張感のない談笑を目の当たりにしながら、ベルベット一行は唖然としていた。
 一見すればわかることだが、彼らの外見はよく目立つ。検問の際にマギルゥがそう偽称したようにどこぞのサーカス団と言われても納得できるような統一感のない寄せ集めぶり。とても賓客、ましてや対魔士には見えないだろう。しかし不自然なことに、廊下へ出た彼女らを見咎める者は誰もいなかった。
「ランバート殿! 精が出ますね、お疲れ様です」
「ええ、そちらも。無理などなさらぬよう」
 先頭を切っているリュイと朗らかな挨拶を交わす男たちにあてがわれた仕事はこの場所の警備のはずである。職務怠慢などというレベルの話ではない。いままさにリュイと挨拶を交わす対魔士の位置からはリュイ越しに不審な男二人が見えるはずだ。それが誰一人として賊の方には目を向けない。ベルベットはまるで自分が透明人間になってしまったような感覚に陥っていた。

 道行く対魔士を目の前にして、一行はどんどん離宮の奥へ進んでいく。初めは声を出すことを躊躇っていたベルベットだったが、ついに我慢が効かなくなる。
「ちょっと、どういうことかそろそろ説明しなさいよ」
 無論この男が何か細工をしたのは明白だ。この状況を対魔士の怠慢と断じるには不気味すぎる。痺れを切らしたベルベットの問いに応じ、先を行くリュイが振り返る。

 そもそも敵勢力であるはずの彼がどうして同行をしているのか。それはたった数十分前のことだ。
 侵入者たちのまなざしを一身に受け、リュイ・ランバートは血が滲む口の端を忌々しげに指先で拭った。しかしそんな表情は一瞬のうちに消え去り、すぐに笑みを作って一行に向き合ってみせる。
──案内をする。あろうことかこの対魔士は賊に向かってそう言葉を吐いた。
「……お勧めするのは眼科と精神科のどちらが適切?」
 ベルベットの目つきが依然冷たいままなのも無理からぬことだ。
 いまからそちらの重鎮を害しに行くという輩の道案内だなんて、詭弁に決まっている。そんな思惑をよそにリュイはペースを乱さず語ってみせた。

「貴方がたにとっては残念なことに、離宮内の警備は交代制できっかり割り振られていて、夜中であれ警戒が薄くなるということはありません」
「黒っ! 聖寮め、外はホワイト中は真っ黒ブラックではないか!」
「白かろうが黒かろうが構わないわよ。あたしたちがどんな集団か知らないわけじゃないでしょ」

 自分たちがヘラヴィーサにした所業をこの対魔士はよく知っているはずだ。目的のためなら何だってする。警備が何人いようが知ったことではないのだ。そのスタンスはリュイも当然理解している。
「ええ、それでも混乱は必至だ。騒ぎを起こしてしまえば目的が達成できないかもしれない」
 その読みはおそらく正しい。話を聞いた限りでは大司祭は用心深いタイプのようだ。確かに業魔が現れたと知れてしまえば取り逃がす確率はあがるだろう。ベルベットはここまでの道中で散々混乱に乗じた脱出を成功させてきたが、今回の依頼はそれらとはわけが違う。その上、ベルベットの伴には派手な喧嘩を好む男どもがいる。警備の者と鉢合わせればどうなるかは容易に想像ができた。
「……あんたを人質に取って乗り込むっていうのは?」
「勿論御免こうむります」
 リュイは笑みのままできっぱり提案を断った。人質、という策は悪くないように思えるが、どちらにせよ相手に脅威を知られてしまうことにはなる。それではこうして忍んできた旨みがない。……ベルベットの思考はそこで行き詰まってしまった。元々当たって砕けろタイプの彼女には策をあれこれと捏ね繰り回すことは専門外だ。

「何か方法があるんだな」
 そこへ来て、口を挟んだのはアイゼンだった。ベルベットとリュイの遣り取りを後方で見物していた彼が悠々と間に割って入る。リュイはその長身を仰ぎ見て、貼り付けた笑みを引き攣らせた。
「無策で提案はいたしません」
 リュイの口振りにはそれなりに根拠があるように見える。アイゼンは彼の案に肯定的なようだ。
「本気?」
「このまま飛び出すよりはマシかもな」
「無用ないざこざが避けられるならそのほうが助かるのう」
 この世の何より軽いと思われる声でマギルゥが賛同の意を唱える。依然この対魔士が信用ならないことに変わりはない。しかし、だからといってこの復讐の連れ合いたちがみな信用できるかと言われれば、そうでもないということをベルベットは思い出した。むしろこの妙ちきりんな魔女など不審者度でいえばリュイのはるか上をいく。

 ベルベットが溜め息でもって承諾を示せばロクロウも異論はない。
「強行突破はいつでもできるしな!」
「そういうことだ」
 などと、血の気の多い意見に同調し合う男たちを視界に入れながら無策の無謀さを思い知るベルベットだった。

 ……そんな遣り取りを経て一行は彼を道連れに加えた。
 リュイの説明に偽りはなく、部屋から一歩外へ出ればそこには武装した対魔士が何人も構えていた。速やかに臨戦態勢をとるベルベットたち。そこで話は冒頭へと戻る。

「聖隷術の類?」
「いいえ。特技みたいなものでして」
 ベルベットは聖隷術には明るくない。未知の力にはなんでもその名前がつくのかと思えばそうではないらしい。リュイの芸当に首を傾げているライフィセットを見るに、聖隷の力とは異なるものなのだろう。ライフィセットは元から大きな瞳を更に大きくしてすれ違う対魔士たちを興味深そうに観察している。
「見えなくしているわけではありませんよ」
「えっ」
 投げかけられた言葉はライフィセットに向けられていたものだから、小柄な背は吃驚してしまう。
「違うの?」
 ライフィセットの純粋な疑問にリュイは解を示す。
「優れた主導者は声に出さずとも兵を導くもの。私は貴方がたを視界から外すよう彼らに指示を出しているんです」

 リュイはそう言って微笑みかけつつ、視線を前方へと戻した。少し会話をしたくらいでは誰も彼の他に人がいることに気がつかない。
 驚くべきことに、リュイは視線で、身振りで、声で。対魔士達の意識をコントロールしているのだ。彼は無言の号令で視線を自分のみに集めている。彼の一挙手一投足がそのまま煽動の意味を成している。右向け右、のその要領をここまで昇華させたのだ。
 信じがたいことではある。しかしそのおかげで衝突もなく、潜入はとてもスムーズなものとなっていた。その上こそこそする必要もなく、堂々と歩みを進められるのだからこんなに楽なことはない。

「この特技があればどこにでも入り込めちゃうかも……」
「やりようによりますが、基本は私が歩いていて咎められない場所に限ります」
 曰く、リュイが表立って煽動をする必要があるので彼自身から意識を背けることはできないらしい。どうやら万能の術ではないようだ。
「なるほど。酒蔵に忍び込んだりはできないわけか」
「そんな愚かしい用途には使いません」
「あー……、いまのは例えが悪かったな。うん」
 ロクロウの本気と冗談の境を計りかねるような口振りはつね通りだが、瞬間的にリュイの目つきが軽蔑の色に変わったのを見てすぐに言葉を正した。……でもそんな状況だって起こらないとは断言できない。急を要する用が酒蔵にできるかもしれないじゃないか。いや、酒を強奪しようなどとは積極的には言わないが。言わないまでも、その機会があればそれは無論やぶさかではないが。──心の中だけでそうぼやいたロクロウはなかなか強かで賢い男といえる。

 かたや、ロクロウの戯言に目くじらを立てるリュイの様子を見て、ベルベットの中の違和感は増していく。リュイという男はやはり善側の男だ。それがどうして自分たちの手助けなんて。
「今からするのはコソ泥とはわけが違うのよ。それが分からないってわけじゃないんでしょ」
──まさか大司祭に個人的な恨みがあるとか。
 もしそうであればベルベットは納得できる。恨みや復讐は彼女がいま一番信頼している感情だ。
「いいえ」
 しかしリュイから発せられた答えはノーだ。
「あたしたち、大司祭を殺す気で来てるのよ?」
「正確には暗殺の役目を負っているのはベルベットじゃがな。儂は平凡で善良な魔女なので、そこのところよろしく頼むぞー」
 要らない注釈を挟む自称魔女にベルベットはもはや睨む気力もわいていない。
「お気遣い、有難うございます」
「そんなものしてないわよ」
 無論、リュイに割く心遣いはベルベットにはない。それでも目的のわからない人間を連れている居心地悪さが彼女に要らない確認をさせてしまったのだ。
 この気持ちの悪さ。そうだ、確かダイルと手を組んだ時もそうだった。リュイの行動は理解不能だが、何度も遭遇しているうちにその不可解さの形がなんとなく見えてきた気もする。業魔を助けようとする、業魔の手引きをする、武器に手をかけることなく業魔と会話をする。ベルベットにはリュイが、そんなことができるこの世でたった一人の人間であるように思えた。業魔が人間に気遣いなんてするわけがないのに。

「分かった上で同行をしているつもりです」
 不遜が標準であるだろうリュイの物言いが、その時ばかりは微かな揺らぎを見せる。その揺らぎは自分の行動が自ら業魔の共犯となる選択だと理解していることを示していた。
「……信用できないというのは当然だと思います。だから貴方がたの問いに、応えられるものは応じたい」
「そう」
 ベルベットは業魔だ。それでも人間だった頃の記憶はしっかり残っている。彼女がリュイをそれ以上追求しなかったのは、きっとその頃に培った経験によるものだった。

 歩を進めるベルベットに、それまで黙っていたマギルゥがそっと歩み寄る。
「しかし……、」
 芝居掛かった意味ありげな笑みを浮かべてベルベットへ耳打ちする。先の遣り取りで何やら思うことがあったらしい。ベルベットの望む望まざるに関わらず、更に声を潜めて彼女の言葉は勝手に続いていく。
「……これだけの芸当、なにかしらのカラクリがあって然るべきというもの……、あやつ、何もかもを開けっ広げにするというわけでもなさそうじゃのう」
 人間関係を引っ掻き回すのに余念がない、魔女の囁きである。
「──そうね、興味ないわ」
 ベルベットが断じると、なんとつまらん!という嘆きが返ってきた。魔女の囁きには耳を貸さないことが弄ばれないための秘訣なのだ。