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「さあ、礼拝堂はこちらです」
 結局、目立った騒ぎを起こすこともなく一行は目的地へ辿り着くことに成功した。一際大きな扉の前でリュイが中へと促がす。どうやら、本当に大司祭暗殺まで付いてくるつもりらしい。ベルベットは横目でリュイを一瞥したが、何も言わずに視線を前に戻した。

 しかし扉を開き、そこにいたのは目的の大司祭のみではなかった。

「リュイ? どうして貴方がここへ……」
 生真面目な二つ結びを揺らして動揺を見せる彼女。対魔士エレノアが武装をしてその場に立っていた。リュイにも、ベルベットたちにもよく覚えがある人物に、動揺したのはエレノアのみではなく。
 リュイの瞳にも揺らぎが生まれた。たった一呼吸、息を乱す。すると。

「業魔!! 一体どこから!?」
 突如、弾かれるようにしてエレノアが槍を構えた。その切っ先は寸分違わずリュイの後ろの賊を目掛けている。動揺した瞬間にリュイの煽動術が解かれてしまったようだ。
「あ、バレた」
「すみません、つい」
 誰ともなく漏れた言葉に謝罪を返すリュイ。その様子は拐かされただとか、人質に取られているなどのようには見えない。むしろ悪漢たちとの繋がりを思わせるやり取りにエレノアは悟ってしまう。
「貴方が、ここまで誘き寄せたんですか……?」
 声を震わせるエレノアとは対照的に、リュイは毅然として彼女の前へ立つ。
「ええ、その通りです」
「その者たちが害をなす存在だと知りながら!?」
 場違いなほどあっさりとした肯定に、エレノアの声は悲痛な音で響いた。聖寮の理想を支える同志として疑わなかった人物が業魔と手を組んだ。それだけで慟哭には十分だった。その問いにもリュイは肯定を示すしかない。

──それ以上の弁明は、もはやこの場では無意味だった。
 エレノアが聖隷を呼び出す。戦闘開始の確かな意志表示だ。聖隷は真っ先にベルベットへ向かっていく。エレノアの槍の切っ先はリュイへと向けられた。

「拘束します。話は後で聞かせてもらいますから!」
 彼女の気迫にもう揺らぎはない。大槍がリュイ目掛けて振り抜かれる。

「エレノア、貴方は大司祭が殺されるだけの理由に心当たりがあるのですか?」
 そんな彼女の槍をリュイが取り出した自分の武器──鞭で受ける。至近距離で行われる問答。戦闘モードのエレノアに対し、リュイの言葉は穏やかで、彼との日常をエレノアに思い起こさせる。

「はあ!? 貴方、知らずに手を貸したっていうの!?」
「なので、できれば知っておきたいのです」
「~~もう!馬鹿!!」
 心の底から、本気の、馬鹿、である。それについてはリュイも閉口せざるを得ない。
 エレノアが賊を警戒してこの場で張っていたということは真実を知っているということだろう。
 教えてくれてもいいのに、と思いながらリュイはエレノアの攻撃をいなしていく。体重全体を乗せるような動きで繰り出される彼女の攻撃はかなりの重みがある。その猛攻を、刃の部分ではなく柄を目掛けて払っていく。
 エレノアとリュイの戦いは平行線だ。リュイにはそもそも彼女を傷つける気がなく、エレノアのほうも躊躇いがあるのかなかなか決定打を出さない。
「──退いてなさい!!」
 突如、咆哮とともにリュイの背後から赤黒い衝撃が襲う。手。異形の手が切り裂く。エレノアの身体が後退し、距離を取った。

 一足早く聖隷を片付けたベルベットがエレノアに向かっていった。見れば、他のメンバーもそれぞれ片がついたらしい。
 これではエレノアに分が悪い。パワーも、おそらくはベルベットの方が……。

「エレノア様をいじめるなでフー!」
 リュイがそう思い立った、その時。珍妙な声とともに突如現れる光──彼女の奥の手、聖隷ビエンフーが登場した。

 エレノアを庇うように立ち塞がった勇ましい彼であったが、その小さな身体は業魔ベルベットによって呆気無く吹き飛ばされてしまう。
 あれよあれよとビエンフーの二頭身はキャッチボールよろしく、最後にマギルゥの元へと収まった。……収まってしまった。

 結果から言うと、マギルゥはさっさとビエンフーと再契約を果たした。新たな戦力を得た暗殺者たちは見事、対魔士エレノアを撃破する。
 だが何を思ったか、ベルベットは彼女の命を奪うことはしなかった。
「……ベルベット」
「だから、気遣いじゃないってば」
 リュイの声掛けにベルベットは尖った声を出す。どうやら道中話したことの続きを言っているらしい。リュイとしては、エレノアを必要以上に害さなかったことにお礼を言っておきたい気持ちだったが、それを先回りして否定されてしまっては二の句を告げることはできない。

「あたしの狙いはこっち」
 エレノアを殺さなかったのも、誰に対する義理立てというわけではない。目的は別にあるのだと、ベルベットが剣の切っ先を大司祭へと向ける。

 もう男を守るものはいない。ベルベットの目は地に伏したエレノアを眼中にない、とでも言うように横たえたまま大司祭一人を射抜く。その目に射竦められ、男は小さく悲鳴をあげた。

「……リュイ・ランバート、これは復讐のつもりか?」
 大司祭の苦し紛れの声はまずリュイへ向けられた。男からすれば聖寮に属しておきながら業魔に加勢するリュイは裏切り者に他ならない。恨み節がそちらに向いたとしても不思議ではないだろう。しかし、復讐とは。

「復讐? 私が?」
 対するリュイはその言葉に心当たりがないよう。大司祭は半ば狂乱状態で続ける。
「ここを建てたのは聖寮の総意だ。お前だって了承しただろう……! アルトリウス、アルトリウスがこの土地を、と推したのだ!」
「それは、」
 内容に関わらず、仇の名が出てきたことに、ベルベットは一層顔を険しくさせる。すっかり動転しているらしい大司祭の言うことはまるで要領を得ない。旧体制の重鎮である彼は対魔士のような戦う術(すべ)を持っていないのだ。
 しかし、思いがけず大司祭にはリュイに対して後ろめたいことがあるらしい。ベルベットが目的を果たしてしまう前に、この男の言わんとするところを聞いておかなければ。リュイが常軌を逸した様子の男へ歩み寄ろうとする。が。

「待て! 近付くな!」
 不意に轟いたアイゼンの制止の声にリュイは動きを止める。それとほぼ同時だった。大司祭の恨み節が獣のような唸りへ変わったのは。

 その時、リュイは人間が業魔へ転じる瞬間を初めて目にした。
 瞬きをする間も無く、老体は見る見る変わり果てていき、人間とは呼べない姿がそこにあらわれる。

 形勢が変わる前に、とベルベットが司祭業魔を襲う。しかし咄嗟の攻撃は逆に事態を悪化させることになる。
 司祭業魔はベルベットの攻撃を人ならざる動きで躱すと、そのまま尻尾を巻いて後方へ逃走してしまった。
 礼拝堂の裏手、人目をはばかるような場所に、地下へと続く階段がある。リュイはここへは何度か訪れたことがあったが、こんなものの存在は知らされていない。

「この先は……、」
 奥から感ぜられる物々しい空気に、リュイは固唾を飲んだ。下にはおそらく空気孔などないはずなのに、誘うかのように薄ら寒い風が通り抜けている。──何かが、ある。確かにそう思った。

「大司祭まで業魔病になるなんてね」
 階段を覗き込むリュイの真後ろでベルベットがぼやく。確かに。なんてタイミングだろう。しかし生き長らえたとは言い難い。彼女たちのように理性を残した存在になれたならばまだしも。単純に確率だけで考えればそれも望み薄だった。
「……限度を超えたということじゃな」
 いつもよりトーンの低いマギルゥの呟きをリュイはしっかりと聞いた。

「とにかく追うわよ。逃すわけにはいかない」
 当然、一行は司祭業魔を追うことを即決する。足早に扉をくぐるベルベットを先頭にしてロクロウ、マギルゥ、ライフィセットが続いていく。人数分のばらついた足音を聞きながら、リュイは地下のその先を凝視して動かない。
(この先は、そうか。ここは……。)

 そんなリュイの背後から重みのある足音が二、三鳴り、気配を告げる。その音は彼の真後ろでピタリと音を止めた。
 その足音の持ち主は一人しかいない。アイゼンはリュイのつむじの真上あたりから一つ言葉をかける。
「進めるか?」
──驚いた。
 思わず振り返ると、聖隷の瞳は凪いだままこちらを見下ろしていた。リュイの内に秘めた僅かな躊躇いを見透かしでもするような色だ。
(この男が、知るはずがないのに)

 しかし、この先へ進めるかどうか、と問われれば答えは決まっている。
「勿論です」
「そうか。急げよ、」
 リュイの意思を確認すると、アイゼンはリュイをさっさと追い越して地下へ降りて行ってしまった。大股ですれ違う瞬間に、リュイの肩へ手を置いて。まるで自分を鼓舞するかのような振る舞いにリュイは少し面食らう。
 一行が去った礼拝堂は本来の静けさで以って、リュイの心を急かすのだった。
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