「なかなかだ。リュイよりよっぽど力があるな」
エレノアの槍捌きに目をやっていたアイゼンが不意にそんなことを言った。ちょうど道中の敵業魔との戦闘が終わって、一行がひと段落したところだ。
確かにエレノアの立ち回りは見事で、業魔であるベルベット、ロクロウにも引けを取らず前線で活躍している。そうは言っても女性相手に男を引き合いに出すのはいかがなものか。リュイは片眉を吊り上げる。
「その言い方は……」
抗議の文句を告げようと口を開くや否や、エレノアから幾分かトーンの高い声がかぶさった。
「えっ? あ、ありがとうございます」
無神経ともいえるアイゼンの言葉を受けて、彼女はどこか照れくさそうにしながら身をよじる。
彼女は敵対組織から、なかば人質のようなかたちで一行に加わった身だ。もとより友好的な人物が極端に少ない顔ぶれなこともあり、どことないよそよそしさは簡単に払拭できずにいた。その矢先に突然、話題の中心に据えられたのだ。そのうえ話しかけてきたのは無愛想で口数少ないアイゼン。彼の特性を短い期間ながら理解していたエレノアにとって、こうして話しかけられること自体がちょっとした驚きだったのだ。
……なんであれ、これは距離を埋めるチャンスだ。エレノアはそわそわした気持ちを引き締める。こうして不本意ながらも彼らと同行することになったのだから。であればそこを逆手に取り、少しでも情報収集をしたほうが先々のためになる。エレノアは胸の内でそんな打算をして、アイゼンの話に乗ることにした。
だが、エレノアとてリュイの力量をしっかり把握しているわけではない。
「そういえばきちんとした力比べはしたことがないですよね」
「……エレノア、貴方はそれでいいのですか」
言葉を返すリュイの声色は呆れた調子だ。
いいのですか、とは言ったものの、リュイにとっては無礼千万の物言いも、エレノアはどうやら素直に褒め言葉として受け取っているようだ。だがそれもよく考えれば当然のこと。彼女は人一倍の努力家で、この戦い振りだって彼女が必死に鍛錬を積んだ証なのだから、誇りこそすれ恥じるものではないのだろう。リュイが一人で勝手に納得していると、後方からマギルゥがひょっこり顔を出し、こう言った。
「エレノアが勝つほうに今日の晩のおかずを賭ける!」
……魔女のよくない博打癖が始まった。するとすかさず他の者からも声があがる。大抵の場合、こういうときに面白がって便乗するのはロクロウだ。
「よし、俺もエレノアが勝つほうに賭けよう」
「む、それでは賭けにならんじゃろ! 誰かこのモヤシ小僧に賭ける者はおらんのか!」
マギルゥが大袈裟すぎるほど声をあげたが、誰一人として手が挙がらない。
「じゃ、じゃあ僕はリュイが勝つ方に賭けるよ」
「ライフィセット……」
少しの沈黙の末、ライフィセットがそろそろと名乗り出た。心優しい彼のことだ。誰からも賭けてもらえないリュイを憐れんだのだろう。心を解放してからまだ日が浅い彼には、その行動が逆に人を傷つけることがあるのだということを知らない。
リュイはことの発端であるアイゼンの顔を力なく睨んだ。しかし低い位置からくる視線を受けても、彼はどこ吹く風といった様子だ。それどころかそんなリュイを煽るかのように口の端をあげる。
「なんだ、俺にも賭けてほしいのか?」
「……結構です」
その気もないのに、恩着せがましい。あまりに不遜なその表情にリュイは自らを反省する。そもそも彼はリュイの腕っ節を信用していない筆頭なのだから抗議したところで無意味なのだ。
リュイとて自分が力技に頼るタイプでないことは自負している。してはいるが、こうも寄ってたかって詰られればいい気はしない。
「それで、勝敗はどのようにつけますか?」
複雑な心境に黙り込むリュイを置いて、後方からエレノアのやや弾んだ声が耳に入る。どうやら賭けの取り決めが着々と進められているらしい。リュイにとっては勝手に引き合いに出されただけであり、彼女に対して競争心は全くないのだが。何故かやる気満々の彼女を見ていると断るのも気が引けてくる。
小細工なしの力比べといえば腕相撲だろう、と提案したのはロクロウだった。かくして即席の舞台の上でリュイ、エレノアが手を組み合う。こちらを見据えるエレノアの目は真剣そのもの。要は暇つぶしの余興にされているだけなのだが、彼女にとってはそれだけではないらしい。……エレノアは体育会系だった。彼女ほど熱くなれていないリュイは、せめて気持ちで負けるまいと自分を叱咤する。
「一本勝負、はじめーい!」
マギルゥのなんとも気の抜ける掛け声がかかった。途端エレノアの握る手に力が篭る。その初動をリュイはなんとか耐えた。いくらエレノアが可憐な少女であっても槍使いの握力は侮ってはならない。リュイの普段操っている鞭とはそもそもの重さが違うのだ。それをいまリュイは全身で思い知っていた。しかしそれを大勢の見る前で、公然と露呈されることはどうにもきまりが悪い。
「ううっ!」
「く……、」
何秒か互いの力が拮抗する。エレノアの勢いにつられ、リュイの喉からも力のこもった声が洩れる。思いがけない接戦に一同が沸く。そして。
──予定調和。リュイの身体がバランスを崩した。
「勝者、エレノア・ヒューム~!」
「やったー!やりました!」
マギルゥが大騒ぎしてエレノアの拳を頭上に掲げる。エレノアまで大喜びだ。敗者はその様を見ていることしかできない。
「ふふ、修行が足りませんでしたねリュイ。今度一緒に鍛えましょう!」
「うーん、やはりモヤシはモヤシじゃったか~」
ここで注釈を入れておくと、確かにリュイは線の細い方ではあるが、特別貧弱なわけでもましてモヤシなわけでもない。至って健康体であるし、一般男性ほどの力くらいはあるだろう。エレノアが少々規格外なのである。何を言っても恥の上塗り、負け犬の遠吠えにしかならないだろうが……。
その晩、宿屋でライフィセットはどこか切なそうに目を伏せていた。
「これに懲りたら安易な賭けにはのらないことね」
ベルベットはあくまで冷たく言い放つ。しかしそんな彼女の前にも皿がひとつ足りない。バランスを取ってか、ライフィセットに付き合ったのか、彼女もリュイが勝つ方に賭けさせられたらしい。リュイに向けられた彼女の視線は度を越えて冷ややかだった。珍しく勝ち馬に乗った魔女は上機嫌そのもので、いたいけなこどもからおかずを一品奪おうと痛む心はないらしい。
「ライフィセット、私の皿をひとつどうぞ」
聖隷である彼に物質からの栄養は必要ないといえばそうなのだが、彼の発するなんとも言えない寂寞感に、リュイはライフィセットへそう提案した。
勝手に盛り上がって賭けをしたのは彼らだが、ライフィセットはどちらかといえば巻き込まれた形になる。自分にも責任の一端はあるだろう。リュイはそう思った。
「ありがとう、でも自分のしたことに責任は持ちたいから……」
「その心がけだけで十分ですよ。栄養のいらない人にばかり行き渡って、一番歳下の貴方が不十分な食事量になってしまうのは不自然ですからね」
「おうおうなんじゃあ? 何が言いたいんじゃあ?小童ァ?」
これは正当な配当金じゃろうて!というマギルゥの抗議をリュイはスルーした。勿論、昼間散々詰られた報復である。そんなマギルゥを横目にリュイがカウンターに腰掛けるとその隅ではアイゼンがさっさと一杯呑みだしていた。
道中であるならまだしも、一度宿についてしまえばそこからは各自で自由行動を取るのが協調性のない一行の倣いだった。リュイたちの遣り取りを眺めて肴にでもしていたのだろう。元はと言えばアイゼンが余計なことを口走らなければマギルゥに要らない余興を提供することもなかったのだ。そのことを思うと、温厚なリュイとはいえ腹立たしい思いが湧いてくる。
「涼しい顔してるとこ悪いが、ツマミ貰ってくぜ」
ふと、派手な柄の異国風の衣がリュイの視線を遮る。ロクロウの図体が割り込んだのだ。
そういえば、今回の賭け事で勝ちを収めたのはマギルゥだけではないのだった。そのことを思い出すリュイの目の前で、ロクロウはアイゼンの目の前から皿を奪っていく。仏頂面の聖隷はそれを無言で見送るだけだ。ロクロウは無骨者ではあるが礼儀知らずではない。疑問符を浮かべるリュイに気づいたのか、アイゼンはばつが悪そうな顔を浮かべて唸った。
「……ただのギャンブルだ。こういうときもある」
そこまで言われて状況が分からないリュイではない。まさか。だって。この一連の出来事はこの男の発言がきっかけのはずで。
「素直にエレノアに賭けていればよかったじゃないですか……」
この男がいつのまにか賭けに参加していたことにも驚きだが。リュイは賭け事には馴染みがない。敢えて勝算のない大穴に賭ける、という賭け師の思考回路だろうか。想像はしてみても信じがたい考え方には違いない。
「うるっせえ奴だな、とっとと飯食って寝ろ」
「だからどうして貴方はそう憎まれ口ばかりなんです!」
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