ぱらぱらとしたまばらな拍手を後方で聞きつつ、リュイはノンアルコールドリンクで口を湿らせた。舞台上では今日も奇抜な衣装に身を包んだマギルゥが、苦笑いを押し込めながら身体の至る所から鳩を飛ばしている。いつもより多く飛んでおります、と宣う彼女の様子はどちらかというと自暴自棄にすらなっているように見えた。
世にも恐ろしい災禍の顕主、その一行が芸人の真似事をしなければならなくなった発端は、やはり魔女の思いつきによるものだったのだが、その経緯については省く。彼女曰く旅芸人として振る舞うことは、真の目的を隠し、さらに日銭を稼ぎ、さらにマギルゥ自身の名声をも上げられるという合理的でクレバーな作戦……らしい。その真意はともかく、たしかに大衆酒場で人々に笑いものにされている一行がこの世界の秩序に仇成すならずものたちと気づく者はそういないだろう。
「お疲れ様でした、お二人とも」
「もうやらない、あんたたちがなんと言おうと絶ッ対やらないから!」
リュイの労いをはね除け、ベルベットは頬を真っ赤に染めて声を荒げた。二人の様子を見るに、講演は成功したとはいえないようだ。
「なーにをきょとんとしとるか。ここは冗談でも、『面白かったですよ、さすがマギルゥちゃん!』と声をかけるところじゃろ!」
「面白い方ですね、マギルゥ」
「多大な含みを感じる!!」
舞台を降りてなお、芝居がかった口調で騒ぎたてるマギルゥを見つめながら、ライフィセットが小首をひねった。
「ベルベットとマギルゥ、舞台の上で喧嘩してたように見えたけど、あれが漫才なの?」
「んー、さっきのあれを漫才と言い切るのは儂的にアリよりのナシなんじゃが、ああいった型があるのは確かじゃよ」
何故か笑いに一家言あるらしい彼女は珍しくまっとうな答えを返す。
それを聞いても、リュイは同様に奇妙な顔にならざるを得ない。彼にとって芸人とは、人が集まる席にやってきては楽器を演奏したり、詩を披露したりする者のことである。マギルゥが披露するような「漫才」は貴族のサロンでは見たことがない。
「いやあ嘆かわしい! 健全な青少年たちがお笑いのなんたるかを全く知らぬとは!」
マギルゥの大袈裟な絶叫がこだまする。
「よし決めた。リュイ! 次の講演はおぬしが儂の相方を務めるんじゃ!」
「……あるんですか、次が」
「当然じゃ。このまま引きさがれるかい!」
リュイの眼前にびしりと突きつけた指を、手でやんわり制されながらもマギルゥは続ける。
「お主なら人前に立つのは慣れっこじゃろうし、キンチョーするぅ~などという生娘気取りのトチり方はせんじゃろ」
「あたし、そんな言い方してないけど?」
殺気を飛ばされようと魔女はどこ吹く風だ。彼女だって、リュイに笑いのセンスがあるとは思っていないが、であれば自分を引き立たせる大チャンスだ。たとえ大すべりしてもマギルゥにとっては嗤いのタネが増えるくらいのもの。完璧なプランである。対するリュイは突然の無茶振りであっても動じる様子はあまりない。彼女の理屈は粗だらけだが、旅を続けるうえで必要と言われれば彼の頭に拒否の選択肢はないのである。
「良いでしょう。抱腹絶倒をご覧にいれてみせますよ」
「あれなんでじゃろ、急に不安になってきた」
さっきまで渋々といった様子のリュイだったが、腹を決めたからか、いつのまにか乗り気になったようだ。やる気があるのは良いことだ。であるにも関わらず、彼女の第六感は警告を告げる。しかし魔女に二言はない。あれだけの啖呵を撤回するわけにもいかず、マギルゥは人知れず背筋を凍らせた。
「どうもー! みんなお待ちかね、マギルゥちゃんの登場じゃよー!」
「はは」
隣の乾いた笑いをマギルゥが裏手でしばく。演技でもなんでもない怒りの一発だったが客席にまではわからない。
あれから数日、運良く彼女の知り合いヅテで宴席の枠に入り込むことに成功していた。「お待ちかね」もなにもここの客は誰一人彼女のことなんか知らないはずだが、そこは方便というものだろう。
「……と、まあこのように、小生意気なお坊ちゃんに儂が世間の良いこと悪いこと教えて回っとるというわけでな。じゃが、こう見えて庶民派なカワイイ一面もあるんじゃよ」
マギルゥはにっこにこの営業スマイルでリュイの言葉を促す。
「そうですね。子どものころなんかは皆さんとそう変わらないと思いますよ。ご近所の犬をあげてはいけない部屋まで連れていってしまって、父から大目玉を……」
「おっ、なかなか悪ガキじゃのー」
「一般に、『大目玉を食う』って言うでしょう。そのおかげで私、ずいぶん意味を勘違いしていました」
「ん?」
リュイの語り口はいつもよりさらに淀みなく、滑らかだ。軽快な口振りは耳心地いい。舞台上を見守る仲間の方へ目を遣ると、彼らもマギルゥと同じ違和感を覚えているらしく、各々顔を強張らせている。彼らはリュイの出自について知っているから、真相に気が付くのも一足早かったのだ。
「母もね。怒るとツノが……」
その間もリュイの語り口は止まらない。マギルゥの心境など知らぬ顔でにこやかですらある。
「ツノが増えるんですよね」
「ちょ、ちょっと待て」
「ですから、『怒るとツノが生える』というのも、ずっとそういうことかと……」
──誰が意味が分かると怖い話をしろと???
どやしつけたい気持ちごと彼女は言葉を飲み込んだ。マギルゥは空気の読める魔女だ。
「あー比喩表現じゃよな? な!?」
「いいえ? ご存じでしょう。私の両親は二人とも業魔で……」
「鳩!! ハイ、鳩出しまーーーーす!!!!」
だが、そんな一縷の望みさえ外れて、彼女にできる選択はもう鳩をぶちまけることしかなかった。
「一辺倒の芸では飽きられますよ」
なんとか場を収めて撤収したあと、リュイが淡々とした呆れ声で言う。
「鳩もいいですけど。『ツッコミ』、入れていただかないと。笑いどころが伝わらないでしょう」
「儂のせいか!? むしろマギルゥ姐さんの機転に感謝せんかあ!」
怒りまかせに投げつけられたビエンフーがリュイの頭にぶつかりバウンドする。彼のやわらかボディは思い切りぶつけられたところで大して痛みはない。
確かに、マギルゥの機転で有耶無耶にならなければ、下手をすれば混乱が起きたっておかしくない内容だった。それこそ「放送事故」だ。
「シャレが利いててなかなか面白かったがなあ」
「黙っとれ! 素人は!」
今日のマギルゥはいつになく大荒れである。無理もない。仲間たちのまなざしはひたすら同情的だった。
「あとから気づいたんじゃが、小童お得意の芸で会場を操って片っ端から腹をよじれさせれば良かったんじゃ……? 儂、天才かもしれん……」
「それで貴方のプライドが傷つかないのであればそうしますが」
「もぉおおお主は誘ってやらんっ! エレノア!同僚じゃろ責任取れぇ!」
「嫌ですよ!!」
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