7月9日

 怪盗団の評判はそのほとんどが信奉者によるものである。なぜなら彼らが自身の言葉を外へ向けるのは『予告状』と呼ばれる犯行声明のみに限られているためだ。彼らはそれ以外にはなんの言葉も介さない。
 だからその異質すぎる集団がどんな人物で、一体何の目的でその名を使うのか、一切のことは謎のままだ。ただ悪人に向けられたそのたった数行が、それと紐づけられる改心事件が一部の人々を熱狂させてやまない。──彼らこそが正義の執行者。弱き者の代行人なのだと。

 金城逮捕の報は怪盗団の評判をことさら大きくした。弱きを食い物にする姑息な悪事を彼らは一つ残らず明るみに出したのだ。ただ手をこまねいていただけの国家権力よりも早く。この一件は警察の、大組織であるがゆえの弱点をもまざまざと世間へ見せつけた。
 資料に目を通しながら、「いまの上司」の苛立ちの表情を思い出す。怪盗団はいつのまにか、この国に我が物顔で腰掛けるような連中からは煙たがられる存在となっていた。

「十眞さん、お疲れ様です」
 週に1、2回ほど訪れるテレビスタジオで、また覚えのある声がかかる。
 こんな場所で俺に声をかけるのは彼しかいない。高校生探偵、明智吾郎。俺はそれを経験則から学んでいた。

 近頃の明智くんはすっかり怪盗団事件の第一人者として多方面から引っ張りだこだ。謎に包まれた怪盗団に、真っ向から対立する少年探偵という分かりやすい構造をメディアが放っておくわけもない。怪盗団が活躍するほど、比例して彼への取材も増えるのだろう。多忙極まる生活のはずだが、彼の涼しい表情はそんなことを微塵も感じさせない。
「……お疲れ様です」
 もはや本来の意味から外れている気さえする社会人の万能挨拶を返すと、明智くんはそのまま俺の前で足を止めてしまう。これが単に友好的態度の表れであればいいのだが。彼の俺を見る目はやっぱり明確に何かを探るようであるのだ。

「知ってます? ここの売店、怪盗団シールを取り扱ってるんですよ」
 いくら売れるからってやりたい放題ですよねえ。などと困り顔を浮かべながら、明智くんは言った。
 赤黒二色のカラーリングはいまや街中を歩けばどこかしらで目にするものだ。怪盗団人気にあやかった企業戦略が、勝手に怪盗団の知名度をあげる役割を果たしているのは呆れた事態だと思う。

「それを臆面なく買えてしまう君も君だ」
「探偵って頭を使うんですよ。糖分補給は必須です」
 明智くんが持っているのはおまけと本体の価値が逆転している由緒正しい食玩商品だ。もちろん多くの人間が勤めるビルの売店なのだから品揃えは悪くない。その中からそれを選んで買ってみせるのだから対応した店員の動揺はちょっとやそっとではなかっただろう。顔も知らない店員へ同情心がわく。

「あの怪しげなファンサイトといい、怪盗団のファンはやはり若い層が多いようだ。そこにきて今回の金城ですよ。相手も自分たちのニーズをよく分かっている」
 言いながら、明智くんは箱のパッケージを眺める。そしてそれをくしゃくしゃと折りたたむと、廊下に据え置かれていたゴミ箱へ捨てた。

 彼の言う通り、怪盗団の人気は右肩上がりだ。これは非常に危険な傾向だと思う。怪盗団が義賊めいた行為をこれからも続ける保障はない。
 もしこれまでの犯罪行為の動機が個人的な感情に起因するとして、目につく悪人を裁いたあとはどうなるだろう。民衆からの支持という大義名分を得た、そのあとは。まして相手は顔も分からない集団なのだ。それに対して明智くんは怪盗団不支持のシンボルめいた役割まで担ってしまっている。
「まあ、そうですね。そういう輩にとっては僕は格好の的というか。面白おかしく対立構造にされてますし」
 と、明智くんは少々自嘲気味に笑う。メディアの煽り方は彼自身も利用しているような節がある。だがそれを差し引いても匿名の犯罪集団を相手に素性を晒して批判を発信し続けるのはどうだろうか。その立ち振る舞いから忘れがちだが、彼はタレントではない。事務所の後ろ盾やスポンサーの後援がない一個人に過ぎないわけだ。

 携帯で確認したばかりのニュースを思い出す。渋谷は金城逮捕の直後で、奴が根城にしていたビルや、犯行に関連する場所の捜査でかなりの警察官が動員されたようだ。それに伴い、駅の周辺はいつもと変わりピリピリした空気が漂っているらしい。それはそうだ。渋谷は怪盗団信奉者の多い街でもある。そこへ完全に出遅れた形で国家権力が集まってるんだとすれば。

「今日は送っていく。帰る頃にまた声をかけてくれればいいから」
 え、と明智くんの喉から不測の声があがる。俺はなるべく波風の立たないよう、大したことでない風を装った。
 いま渦中の渋谷に彼を帰すのは無用ないざこざを引き起こしかねない。さっき言ったように顔が知れているとはいえ明智くんは一般人だ。行き帰りに送迎がついているわけではない。俺もタスクを終えればあとは直帰するだけで、この提案は単に互いのタイミングが一致しただけのことなのだ。
 そう判断した俺の思惑を、賢い明智くんはすぐに察したらしい。その表情にすでに驚きの色はなくなっていた。

 

「ちょっと距離感おかしいですよね」
 助手席に腰掛けた彼が言う。
 俺の提案は難なく受け入れられた。普段の様子から察するに人とは一線を引くきらいがあるようだから、断られればそれはそれと思っていたのだ。だが予想に反して明智少年は臆することなく他人同然の車内へ乗り込んでみせた。何が入っているのやら、仰々しいアタッシュケースが彼の足下へ置かれるのを確認しながら俺は窓を数センチ開ける。そして彼からおおまかな目的地を聞き出すと速やかに車を発進させた。

「結構分かりやすく僕のこと避けてるくせに、いきなりこれだもんなあ」
 隣り合った状況で、明智くんの分析が始められてしまう。二人きりになればこうなることは分かりきっていた。彼は問答に愉しみを見いだすタイプの人間だ。
「不用意に立ち入らせないように、わざわざ素っ気ない対応をしているんですよね。そこまで警戒される原因がなにかあったかなあとずっと不思議だったんです」
 それを踏まえてあえて仕掛けるか。いまハンドルを握っている男を相手に大した度胸だと思う。
「はは。すみません。いま僕、果たし状でももらったような気分でして」
 ずけずけとこちら側に踏み入りながら、明智くんの機嫌は上向きだ。

「ひとつは犯罪に関わる何か後ろめたいことがあるとか。それなら探偵である僕を警戒して当然ですよね。でも僕から攻撃されるリスクを込みでこうして守ってくれてるのを考えると違うかなあ、と。……あ、もしかして熱心な怪盗団ファンだったりして?」
「単にそういう詮索を嫌うだけの人間もいる」
 明智くんは悪戯っぽく笑って俺の反応を窺っている。真意にたどり着くためというよりはただ俺を嬲って愉しんでいるような言葉だ。いままで軽くあしらってきた報復がまとめて降ってきている。一通りの攻撃のあとで、明智くんが呼吸だけの笑みをもらした。

「……実際どうなんです? 犯罪集団に正義はあると思いますか?」
 それはスタジオの司会者に彼自身がぶつけられてた台詞だ。だがこの場で俺に渡された台本はない。明智少年は何かを試している、とそれだけは察せられた。いまや世間で問いただされることの多くなった正義という言葉。たぶん、怪盗団もそれのために三度もの事件を起こした。いま挑戦的に俺を見つめる彼も正義を掲げる内の一人だ。

「俺は正義を信じてない」
 こんな話、子ども相手にすることじゃないな。と言ってしまってから思う。
「信じていない?」
「だから、法が必要だ。怪盗団なんて連中は存在しちゃならんだろう」
 明智くんのさらなる追求の気配を感じ取り、俺は本音を別の本音で取り繕った。狙われた被害者たちがいずれも、誰の目から見ても悪党なのは明らかだ。結果だけなら彼らの行為に救われた人数は計り知れない。それができたのは怪盗団しかいなかった。だからこそ、やりきれない想いもあるが。

「ああ。なるほど」
 それまで注がれていた視線がやむ。横目で見ると、明智くんは微笑を浮かべながら目を伏せていた。そして何か納得したようにゆっくりとした口調で言った。
「あなた、きっと寂しいひとなんですね」

 分かった風にぼやく彼の表情は見たことないほど安らかだ。たった数秒の沈黙は窓の外の喧噪に消えていった。

 

「本当に頼まなくていいんです? 最近評判なんですよ、ここ」
 ……あの数秒間の沈黙は本当に奇跡みたいなものだったんだろう。いまになって惜しむような気持ちで、明智くんと皿の上に盛られた生クリームを前にしてそう思う。

「甘い物はそれほど得意じゃないんだ」
「へえ? 女性と一緒に来たりしないんですか?」
 流石の名探偵も、まさか目の前の男が連続で男子高生と喫茶店へ来る羽目になっているとは思わないらしい。俺だって予想だにしていないのだから当然だ。

 送り先に吉祥寺を指定した明智くんの望み通り、賑やかな人通りまで到着すると。あとは車が一時停止できそうな場所さえ見つければさっさと運転手の役目は終えられるはずだった。彼の甘言に唆されるまでは。
「無理に付き合えなんて言ってませんよ。用事があるなら断ってくださいとも言いました」
 そう言われて咄嗟に方便を吐く性格でないことを知られているのだろう。実際そのとおりなので、こうして小綺麗な店内まで連れてこられている。

 連れ込まれた店は明智くんの言うとおり人気があるらしく、じきに夕飯時というような時間帯でも席はほとんどが埋まっている。明智くんが勝手知ったる風で注文した、メニューの一番目立つところに書かれていたパンケーキは二切れが重なって山を築きあげている。見た目は華やかで可愛いが重量は相当なものだろう。
「テストも近いことですし、仕事終わりにご褒美をもらったっていいでしょう?」
 思わず見入ってしまっていたのが、見咎めるように思われただろうか。改めて店内を確認すると男だけで席を埋めたグループもある。スイーツ=女子のもの、という考えはどうやら前時代的なようだ。
 
「安心してください、美味しいものを前にしてまでいじめたりしませんから」
 そう言う明智くんも、当然若者の感覚を持ち合わせているうちの一人だ。彼は満足そうに目前の獲物にナイフを入れた。
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