ダンス!ダンス!

「忘れもんのお届けーっす」

 そう言って間延びした声を出すのは竜司だ。
 この、夢だか現実だかも有耶無耶な空間に放り込まれて数日が経つ。初めのうちこそ自分が置かれた状況を掴むまで時間を要したが、共同生活を余儀なくされている連中は誰も彼も同年代なこともあり、慣れてしまえば気安いメンバーだった。
 だがどうやら俺以外の面子はここへ来る前からの知り合いらしく、更に俺と彼らでは何年間もの時差があるらしい。いちいち驚いていては身がもたない。早々に俺は自分の中の常識と現状を照らし合わせるのをやめた。「怪盗団」である彼らは俺よりもこういう意味不明な空間に詳しいらしいから一旦悩むのは専門家に任せることにしたのだ。

「あ、悪いな」
「別に。っつかさ、お前レースゲーム強えのな。初めてっつうから思う存分負かしてやろうと思ったのに」
「あのシリーズは俺もやったことあるぞ。……見たことねえコントローラーだったけど」
 あと異常に画質やらなんやらが解像度高かったけど。
 居合わせた面々の中でも竜司は特に気安い相手だった。不満そうに口を尖らせる彼から昨夜俺が忘れていったらしい腕時計を受け取る。ゲームに熱中しすぎていつのまにか取り外してたらしい。文字盤のしっかりしたそれはそれなりに重みがあって、便利ではあるがときどきちょっと煩わしくもあるのだ。

 彼らが俺よりも9年後の高校生であることに関してはなかなか飲み込むのが難しかった。しかし、話しているうちに端々に感じるなんとも言えないジェネレーションギャップ。とくに時事問題などを話せばそれは露骨に表れた。
 彼らが未来の存在であることを俺は受け入れた。竜司の部屋に置かれたテレビゲームの機種は到底俺の知ってる技術のものじゃなかったし。これが全部夢なら、俺は自分の想像力に拍手を送りたい。

「逆に俺前作は手出したことねーわ、お前の部屋にねえの?」
 と、ぼやく竜司のノリはやっぱりやりやすい。初めは俺を警戒してたみたいだが、こうして隔たりなく話してくれたほうが俺も気を張らずに済む。
「どうだろうな? 双子の子はあそこが各自の頭の中のイメージから作ってあるって言ってたけど」
 この空間を管理しているらしい双子の少女はときどき俺たちに檄を飛ばしにやってくる謎の存在だ。しかし怪盗団と同じく、彼女たちの態度からも悪意やそれに準じたものは感じない。多少不自由ではあるが、ここでの生活はそう悪くない、と俺が結論づける理由の一つだ。
「それな。だからさ、こう、イメージすればほしいもんとか出てくんじゃね?」
 冗談まじりの声で、竜司が空の手でろくろを回すような動きをする。こいつの言うことも一理ある、と思った俺もその手元を見つめた。

「……。」
 そんな俺たちの馬鹿みたいなやり取りを遠くから凝視する目がある。
 喜多川祐介は俺の中で依然として要注意人物であり続けている。初対面で抱きつき、服の中までまさぐられては当然だろう。だからそうやって物悲しそうな視線を送ってきたって俺には応えてやる義理なんてないんだ。
「ッあ、じゃあ俺、ダンスの練習行くから! 十眞またな!」
「お、おう」
 竜司は突然、そんなことを言って席を外してしまう。おおかた、喜多川からの視線に耐えきれなくなったのだろう。くそう。俺だって逃げたい。しかし、何故かあの男は俺に対して執着心を抱いてるらしく、逃げられる場所はどこにもないのだ。

「喜多川、お前も練習行かなくていいのか」
 縦長の図体を三角座りで縮こませる彼に向かって、俺は声を投げかける。お仲間が待ってるぞ、と。だが、それを聞き入れた途端、喜多川のまなこにはじわっと水が滲んでしまう。な、なんで。
「竜司のことは名前で呼んでいたじゃないか……」
「え、そこ?」

 喜多川の電波っぷりといったら、この空間に勝るとも劣らないものだった。なにしろ彼に言わせれば俺は彼と恋人関係にあるらしい。正確には俺ではなくて、9年後の俺が、だが。
(もし、それが本当ならそれはそれで俺やばくねえ?)
 未来の俺どうなっちゃってるんだよ。何があったか知らないが、いい歳して学生相手に熱を上げてるだなんて信じたくない。だから喜多川の言うことは全部世迷言として捨ててしまうのが一番精神衛生上良いんだが、もし恋人に自分の存在が忘れられてしまって、それでこの打ちひしがれ様なら、なんとなく納得がいってしまうのでどうも切り捨てきれないのだ。

 喜多川は背が高い。俺は生まれて初めて暴漢に襲われるという経験をしたが、本能的恐怖を感じる体格だった。だが、さらりとした質の直毛から覗く顔はもっと恐ろしい作りをしているのだ。
「……。」
 いつのまにか数歩距離を詰めてきた喜多川の鬱陶しそうな前髪が揺れる。その中から見える顔は吃驚するくらい綺麗なもんだった。すげえ睫毛長い。人形みたいだ。未来の俺、まさかこの顔が好きになっちゃったんじゃないか。と考えて薄ら寒い気持ちになる。

「どうしても、思い出せないか」
 俺が黙っていると、喜多川は呟くようにそう言った。その目からはいまにも涙が溢れてしまいそうだ。初対面時からここずっと、喜多川はこの調子だ。日に日に衰弱していっているようにさえ見える。思い出せないもなにも、俺とお前はまだ出会ってないんだろ。そう言おうとして、彼の言い分を肯定し始めてる自分に対して、胸中でいやいや、おかしいだろ、と突っ込みを入れる。
「十眞……」
 喜多川の口からは俺の名前が厭に淀みなく出てくる。それは、さも呼び慣れているかのようで、俺の罪悪感を煽る。しおらしい態度でもこいつは変質者なんだぞ。気をしっかり持て。

「……ショーコはあんの、」
 努力むなしく、ついに変質者の精神的揺さぶりに俺は屈してしまった。つまり、未来の俺とお前が恋人だっていうなら、それを証明できるものを提示しろ、と。それは喜多川に弁明の余地を与えるということだ。
「証拠、」
 睨みつける俺の視線を受けて、喜多川が口の中で俺の言葉を繰り返す。顎に手を当て、首を傾げる。分かりやすい思案のモーションだ。
「それがないんなら……」
「いや、待ってくれ。あるぞ。ある。思いついた」
 言い分がないならさっさと立ち去らせてくれ。そう思ったのだが、俺の離脱はすんでのところで失敗する。ギリギリでなにか思いついたらしい喜多川の表情からは憂いが消えていた。少し明るくなった顔色からは先ほどまでの作り物めいた美しさは鳴りを潜めていたが、俺はなんとなく、こっちのほうがいいな。とか思う。だって、喜多川は人形じゃなくて人間なんだし。

「こっちだ。十眞、こっち」
「わ、引っ張るな。行くから」
 喜多川が焦った様子で俺をぐいぐい引っ張る。やっぱりこいつ力が強い。細っこく見えるくせに。それに抵抗するべきか?と一瞬考えがよぎったが、証拠を見せろと言ったのはこちらだ。俺はひとまず話にのることにした。

 

 

 連れてこられた先は喜多川の部屋だった。それはそうだ。着の身着のまま放り込まれたのはこいつも一緒。私物があるならそれは忠実に再現された自室にしかないだろう。喜多川は俺を入り口近くに放って、何やらガサを入れ始めた。狭い部屋だが、物が多い。しかしそれは生活感のある汚さではない。むしろ生気をあまり感じない部屋だ。ここで人並みの生活ができるのか?というほどの。でかいキャンバス。雑多に散らばった画材。そういえばこいつ画家なんだっけか。っぽいっちゃぽいな。この一直線なとことか。

「これを見てくれ」
 俺がぼーっと辺りを眺めていると喜多川が長い脚を駆使してこちらに帰ってきた。ずい、と突き出されたのは……スケッチブック?
「中見ていいの?」
 意図がわからず、訊いてみると喜多川は高速で首を縦に揺らした。スケッチブックはそれなりのページ数があるが全て埋まっているようだ。中身を確認すると、そこには鉛筆で描かれた様々なデッサンがあった。本格的な作品というよりは雑多な練習画みたいなものだろうか。見ると大概がリンゴとか、鍋とか、そういう身の回りにあるようなものが緻密に描かれている。素人でも分かるクオリティの高さに目的を忘れてページをめくる。すると、10ページを超えた辺りからデッサンのテーマはひとつのものに偏りだす。
 人間だ。男。それも大人の男。そのモデルがたった一人であることはすぐに分かった。
 紙の中の男は、こちらに向けて笑いかけている。同じ男が引きで、または至近距離で描かれている。単に絵のモデルの距離感じゃない。これ。これが、まさか。

「これ、俺?」
 訊ねると喜多川は嬉しそうにまた首を揺らす。マジかよ。
 喜多川の筆致は巧みだ。俺は描かれた男の細部から、毎朝鏡の中で顔を合わせる自分の要素を確かに感じてしまったのだ。
「あ、そう……、これ俺か……ふーん……」
 なんか、無性に恥ずかしくないか。だって俺に似た男といったらどれも妙に幸せそうな顔をしてるのだ。
 て、うわ。これなんだ。なんか、肌面積多いのとかあるんだが!?

「未来の俺は、こんなんお前に描かせてるわけ……?」
 信じ難く、思わず尋ねてしまう。俺の知らない俺自身の醜態を見せられてるようで羞恥がハンパじゃない。こちらを覗き込む喜多川に悟られないようになんとか平静を保って俺は奴を見た。
 喜多川はこともなげな顔で口を開いた。

「いや、これは俺が勝手に描いてるものだから十眞は知らないはずだが」
「ッの、ド変態野郎!!」
 反射的に美形の顎めがけてスケッチブックを投げつけてしまったのは仕方ないことだろう。