「俺は嫁を貰うことにしたぞ」
朗報がある、と聞いたときからどことなく嫌な予感はしていた。と、その場の全員が思っていたことではある。ぽかんとする面々を気にする様子もなく話の中心たる獣はやたらうれしそうに両耳をぴんと立たせた。
「今度はどこの地蔵に惚れたんだよ」
「む、あれはモチーフとして惹かれていただけだ。無論地蔵も悪くはないがな」
少々ガラの悪い男の声で詰られると、冗談の通じない彼は眉を顰めてみせた。ちょうど額の真ん中あたり、人間であれば眉はそこだろうという場所だ。
彼──喜多川祐介は青銀の毛並みを持つ狐の姿をしていた。その色こそ珍しいが、それ以外は何ら変哲もない四つ脚の獣。それが先程からぺらぺらと人語を介している。小動物的姿から発せられているとは思えない低い男の声色だ。だがこの場で異質なのは狐だけではなかった。
今宵の月は明るく、集められた異形たちを照らし出す。それらは人の世に於いてあやかし、妖怪などと呼ばれるものだった。そう、彼らは人間とはかけ離れた存在であり、人の社会とは相容れない存在たちである……。そのことは誰もが知っているし、深く自負している。そんなことはこの狐だって例外ではないのだが。
「は!? 相手は人間!?」
今度は若い女の声が響いた。思わず出てしまった、という調子の声には否定の色が含まれていたが、狐はそれを知ってか知らずか寧ろ胸を張ってみせる。その様子を見て一同には呆れの空気が流れる。この狐の奇行にはいままで散々付き合ってきたが今回はとびきりだ。
「祐介……、お前バカじゃね?」
先程と同じ男の声がそう詰るので祐介狐は再度、眉根をむむむ、とさせる。なにも自分が賢いとは思わないがこのガシャ髑髏にだけは言われたくないと思った。
「まあ、恋愛は理屈でするものじゃないから……」
「種族差なんてロマンチックで素敵。私は応援したいな」
「あたしたちが何か言っても聞かないもんね、祐介は」
と、どうやら女性陣は驚きこそあれ祐介の話に肯定的らしい。長い時を生き、その時間を持て余し気味の彼女たちには格好の話題だ。味方を得た祐介狐は耳をぴこぴこさせた。仲間からの祝福はやはり嬉しいものだった。
「私は人間はそこまで嫌いじゃないぞ。寧ろおイナリが気に入ったって方に興味があるな」
キュウリとか持ってそうか?と少女の声で問う。
「ほう。では紹介しようか?」
「それは! 無理だ!」
脊髄反射で拒否反応全開の言葉が返ってくるも、彼女の人見知りは祐介も知るところだ。よく理解はしているのだが、喜色満開だった祐介の表情に翳りが生まれる。信頼する仲間たちだからこそ、自分の好いたものを知ってほしい。そう考えるのは獣であれ、人間であれ(の中でもとくに子どもによく見られる思考パターンだが)変わらない。そんな様子を見て、朗らかな女の声が呟く。
「そんなに素敵な人なんだ」
「ああ、そうだ」
仲間の一言にまた祐介狐の機嫌は急上昇する。扱いやすいといえば扱いやすい男だ。このように彼はほぼ感性のみで生きる困ったさんではあるのだが、長寿種に似つかわしくないほどの素直さを併せもっている。そんな彼の目に留まった人間だ。きっと素晴らしい人柄に違いない……。
「油揚げを分けてくれたんだ」
「ちょっと待って」
委員長気質の彼女がつい突っ込みの言葉を入れてしまった。言ってしまってから、失言であることをすぐに自覚したが時は既に遅い。祐介狐は静止の言葉を受けて、律儀に彼女の次の言葉を待っている。引き返せない。彼女は腹をくくった。
「ええと……、まず、食い気なの?」
確か彼はもっとロマンチックな話をしていたのではなかったか。
「その夜はひどく月の綺麗な夜でな。モチーフを探して人里に降りていたのだが、それでもこうも輝くものかと思って色んな場所と角度から眺めてみることにしたんだ──」
「おい、なんか語りだしたぞ真。どうしてくれんだ」
「ご、ごめんなさい」
「──ちょうど視線を低くして這いつくばるように見るのがいいのではないか、と気づいたころだ。一人の人間が声をかけてきた。伏せる俺を見て、生き倒れていると思ったのだろう。駆け寄ると獣の俺に手ずから食い物を差し出したのだ」
突っ込みどころの多い語りだったが、仲間たちはウズウズとしながら祐介の聞き役に徹した。ここで下手な反応を返してはまた話が伸びることだろう。
「それが昨晩の出来事だ」
「昨晩!?」
全員分の声が見事に重なった。
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祐介…狐
杏…化け猫
竜司…ガシャ髑髏
真…鬼
双葉…河童
春…女郎蜘蛛
の妖怪パロディ。この場にいないけど明智は烏天狗(予定調和)。
ジョーカーの登場は次回あたりに。