狐の嫁取り3

──ああ!なんてことだ!
 青い毛並みを持つ狐、祐介の感嘆は獣の言葉になって外へ出た。
 祐介は狐である。街を臨む山の中で何百年と生きてきた。気安い仲間たちに宣言した通り、いまは嫁のもとへ足繁く通う日々である。結婚をするにしても互いを知る時間は必要であろう。祐介は長命であるがゆえの気の長さでそんなことを考えていた。
 だが、人間である彼の嫁はそんな悠長なことは考えていなかったのである。

 その夜、祐介はいそいそと嫁の棲家までやってきていた。それまで散々擦り寄って匂いをつけていたため、場所を突き止めるくらいは造作もないことだ。勤めから帰ってきた嫁は祐介を見つけるにつけ、顔を緩ませて歓迎している。玄関先でしばし睦みあい、そのまま家の中へと招かれた。祐介とはいえ、家までは初めて入るので少々背筋が伸びる。ご家族への挨拶が必要かとも身構えてきたのだが、広めの邸内に住んでいるのは嫁である人間一人のみであるようだった。しばらく辺りを観察していると嫁が布を持ってこちらへやってくる。そのまま腕の中に抱きかかえられてしまえば自ずとこちらも高揚するというもの。あれから何度か逢瀬は重ねているがここまでの接触は初めてであった。頭を、背を撫でられていたときにも感じていた温い体温に包まれ、多幸感に襲われる。そのまま廊下を抜けて連れられるのにも抵抗しようなどという考えは生まれない。身を任せているとどこか檜の板に降ろされた。湿った空気。密室。数刻遅れて思考がやってくる。

──ここは、風呂場では?
「きゅう!?」
「あ、こら逃げるな」
 思わず引け腰になってしまったところを優しく抑えられてしまう。どうやら嫁は祐介の毛並みが濡れてしまっていることを気にしているらしい。確かに今日は夕刻から天気が崩れた。狐である祐介が傘を差すわけもなく、そのままずぶ濡れで馳せ参じただけなのだが。出来た嫁具合に感動しつつ、いや、しかし風呂をともにするのはまだ早いのでは!などと騒ぎ立てても彼は聞き入れる様子がない。
「はいはいメシはあとでな」
(それは「飯にする?風呂にする?」というあの定型句では!?)
 抵抗むなしく、嫁の手によりあれよあれよと身を清められてしまう。やはり、正式な婚姻前にこれはいただけないと思うのだ。
 ちらりと横目で伺った限り、嫁は普段より軽装になり袖と裾を捲っているきりで裸にはなっていない。それくらいの慎みは持っているらしい。しかしこれはこれで召使いのようなことをさせているのではないか、と落ち着かない。人間を格下に考える傾向にある妖怪界隈の価値観では間違いではないのだが、祐介は自分の見初めた相手とはなるべく対等でありたいと思っている。
(あとで落ち着いたら毛繕いでもしてやろう……)
 そう心に誓って、ひとときの心地よさに身を任せた。

(……なんてことだ。)
 狐は冒頭の言葉をもう一度繰り返した。
 湯浴みのあと、丁寧に水気を乾かされ幾分か男前度が増した祐介の前にはまごうことなき据え膳が。否、実際に膳から分けてもらった肉は美味かったのだが。いま目の前にあるのはそうではなく。固い洋装を脱いで着流し姿で腰を下ろす嫁の姿である。屋内においてもなお雨の気配を纏わせる彼はどこか危うげな色香を匂わせている。数百年生きてきた祐介が行儀よくおすわりポーズのまま固まってしまうほどには危うい。
 雨は止まず、むしろ屋根を叩く音は激しさを増す一方であった。──天は俺に気を利かせているのか。
「おまえ、こんな夜はいつもどこにいるんだ?」
(俺たちにとって雨は忌避するものではない。お前の心配は嬉しいが)
「要らない世話だったか? もう暖かいな」
 彼は祐介の背を撫ぜる。いままで見たことない種類の穏やかな笑みを含んだ声だった。
 危うい。あまりに危うい甘さだ。しかし抗いがたい。順序を重んじる俺であるからよかったものの、こんなの頭から食ってくれと言っているようなものだ。嫁の、成熟したかたちの掌が何度か毛並みを行き来する。その動きが徐々に緩慢になっていき。
「……寝るか」
 欠伸をひとつしてからごろりと床に寝転がる。するといままで経験したことがないほどに顔が接近してしまう。
 嫁はどぎまぎが最高潮の祐介など知らぬ顔で、狐って夜行性だったか?などとのんきなことを言っている。というか、これは、まさか。

──共寝だと!?
「きゃーう!?」
「うお、なんだ?流石に嫌だったか」

妖怪だから寄生虫とかはないのです。