10月26日(昼)

 視線が「刺さる」。
 
 祐介の眼力が強いのにはもう慣れたものだが、今日いつにもましてそれが刺さるように感じるのは俺自身に負い目があるからだ。
 
 俺たちが顔を合わせるのは、洸星文化祭で彼の学生寮を訪れた日以来になる。
 まず、お互いに忙しかった。もともと互いに相手にかかりきりという間柄ではないので、都合が合わなければそういうときだってある。だがそれが完全に自然発生したものと言い切ってしまうのは嘘になる。忙しさを体(てい)の良い口実にして、この強い眼差しから逃げただけだ。
 
 祐介は手もとのたこ焼きが冷めるのも忘れて、俺を凝視していた。瞼を開ききって。その目からは大きな動揺が見てとれる。それは同行者にもありありと伝わったことだろう。
 
「やあ、みんなお揃いで」
 俺の隣で明智くんはテレビでおなじみの便宜的な笑みを作った。それを、学生机を寄せ集めた簡易のテーブルを囲んだ一行が見上げる。その面子にも、ざわざわと賑やかな校舎にも覚えがある。月に二度も、OBでもなんでもない学校の学園祭を訪れることになろうとは。だがそれもこの顔触れの前では大した驚きでもないように思えた。
 
 祐介を除く全員が、俺と明智くんを交互に見た。その中で祐介だけが固まって動かない。あんまり身動きがないので、こいつ身体は大丈夫だろうか?と俺の頭ではだんだん別の不安が擡げてくる。
 
「……どうしてだ?」
 やっと口を開いた祐介の問いは何に対して向けられたものか示されていない。それはむしろ、俺の行動の全てに対してであるように思われた。驚きのなかに静かな怒りが滲んでいるのを感じたからだ。
「驚いた。知り合いだったとはね」
 返答に迷う俺より先に、明智くんは話を続けた。遮られるような形になったことでようやく祐介は俺以外に目を向ける。不服そのものの、じっとりした目が明智くんに向けられる。
 ここは秀尽高校校舎。文化祭当日であった。
 
「招かれたのは僕個人だけど、今日は文化祭だ。誰を連れて来ようと構わないはずだよね?」
 問われるより前に、明智くんは流暢に自らの言い分を述べた。秀尽は彼の通う学校ではない。明智吾郎は本日、文化祭ゲストとして外部から呼ばれたのだ。そのことを俺が彼から聞いたのは昨日のことである。
 突然の依頼に少なからず戸惑う俺に、彼は「敵情視察」なのだと言った。
 
「彼、とても優秀な護衛役なんだ」
 ……たった一度、あのゲームセンターで庇っただけのことだ。それを明智くんはよく覚えているようだった。
 
 彼の見立てでは、秀尽は一連の怪盗団事件と関わりが根深い。数ヶ月前にもここの校長が不審死を遂げたばかりである。学校に怪盗団の関係者がいる可能性をちらつかせながら、明智くんは俺に護衛係として同行を頼んできたのだった。
 それだけで向こう一週間はろくな休みがなかった俺のスケジュールが突然一日空白になった。いつの間にか明智吾郎の口利きで俺の仕事が融通されるようになっている。
 
「護衛か」
「それとも遊びにきているようにでも見えたかな」
 事情を大まかに理解した祐介はやっといくらか納得したような表情を浮かべる。だが、それで留めておけばいいものを、明智くんの再度煽るような言葉で逆戻りだ。どんな言葉を使えば相手を逆撫でできるか、よく分かっている。基本的に反応がわかりやすい祐介が相手なら余計に容易なことだろう。
 
 その思惑通り、祐介は強い目つきで一度明智くんを見たが、彼に対する反論が出てくることはなかった。代わりとばかりに俺のジャケットの裾を掴む。
「十眞、お前の口から聞きたい」
 下から見上げる視線を受けて、俺は言葉を詰まらせた。
 祐介の声からはもう怒りは読み取れなかった。それがむしろ俺を焦らせる。
 祐介の不安の正体はわからずとも、彼が俺に説明を求めていることは確かだ。ならば、俺の言葉でその憂いは和らげることができるはずだった。
 
「十眞さん」
 他のメンバーとの会話を終えたらしい明智くんが出入口の前から声をかける。
「会議室でリハがありますから、ついてきてもらわないと」
「……あ、ああ」
 明らかな生返事だったろう。それでも、それを聞いた祐介の指先は離される。離れたことに気づいてからでは遅い。
 
「構わない、行ってくれ」
 仕事なのだろう、と続ける祐介は物分かりが良く、らしくない。
「悪い、あとで連絡する」
 いままで連絡していなかった俺が言うのでは、軽薄もいいところの文句だった。

 

 

「馬に蹴られちゃいました」
 廊下に出て、俺が追いついたのを確認すると、明智くんはおどけた口調で言った。
 
「あれ、怒ってます? 仕方ないじゃないですか。貴方と彼らが繋がってるなんて知らなかったんですから」
 返答がないのを、俺が腹を立てているのだと当たりをつけられた。実際のところは、祐介のあの目を前にしてしたり顔を浮かべられる彼の神経に呆れていただけだ。仮に怒って見えたとすればそれは煮え切らない俺自身に対してになるだろう。
 
「……俺をわざわざ連れてきたのは、あれが目的か」
 そもそもリハーサルの場所が分かっているなら、はじめからそこへ直行すればいい話だ。祐介たちがいたのは、言っちゃ悪いが文化祭にはよくある喫茶スペースでしかなく、明智くんの興味を引く場所とは思えなかった。
「言ったでしょ。敵情視察ですよ。そのうえでいろいろ見てもらうのもいいかと思ったんですけど」
 けど、とだけ言って視線を寄越す。言われずとも分かる。祐介の過剰な反応は俺たちの関係性を伝えるには十分だった。
「最後のなんて、十眞さん、悪い男そのものでしたもんねえ」
「そう仕向けたのはきみだろ」
「僕は責める気はないですよ。仕事を優先するのは大人の振る舞いとして当然ですよね」
 共感してみせるような言葉のわりには含みを感じる言い方だ。明智吾郎という少年は歳不相応な立場に身を置きながら、周りの大人とは一線を引いて自分を捉えている節がある。
 
「でもおかしいな。彼らのことをすでに知ってるなら、貴方だって僕と同じ考えに辿りつけるはずだけど」
 指でゆるく自分の髪を弄びながら、あえて視線を外して名探偵は言う。
「それとも、そもそも知ろうとしていない? どうあれ、かなりちぐはぐに見えますよ」
 彼が戯れにこちらを傷つけようとしてくるのに、大きな意味はない。しかし今回ばかりはただの悪癖というわけではないようだ。どちらかと言えば、考えをそのまま外へ出しているだけのように思える。
 
 改めて、祐介のあの取り乱し様を観察されてしまったのは良くないことだったのではないか。という想いが過る。それは今更、どうにもできないことだが。
「それこそきみ相手に答えることじゃないな」
 返答は想定より尖った声で発せられた。明智くんの言い分にはかなり、身につまされるところがある。祐介の誠実さに俺は十分に応えられてはいない。しかし、いまこの瞬間はそれを棚に上げたって構わないと思えるほど、彼の思考の矛先が祐介やその友達らに向くのを止めたかった。
 明智くんが顔をあげる。ぴたりと口撃は止んだ。
 
「……まあ、まだ興味の範疇です」
 そして読めない薄笑いで俺を見据える。
「でも興味なら、貴方にもあるはずだ。学校という閉じられた場所が今日に限っては立ち入り放題。調べるにはこの上ない機会でしょう」
 おおよそそれは言う通りだ。公にされている情報をまとめるだけでも、この学校に何かあることは明白だった。明智くんだってもとよりそのつもりだろう。だが、彼に俺をお膳立てする義理はないはずだ。それに、
「護衛はいいのか?」
 彼の警戒はなにも口実というだけではない。こうして廊下を歩くだけでも生徒たちからじろじろと注目されているのを痛感する。いまの世論では怪盗団は否定され、一転して明智吾郎は正義の探偵だが、根強い信奉者がいるのは変わらない。それに、公に対する建前と実際の考えが真逆なのだってありふれたことだ。
 
 俺が与えられた役割をまっとうする気があることに、明智くんは意外な様子だった。ひと呼吸置いてから口を開く。
「そこまで言うなら、講演が始まるころにまた来てください。会議室での危険なんてたかが知れてますしね……。お茶に何か混ぜられるとか?」
 そう言って無神経に笑うのはとても当事者とは思えない。普通の状況であれば単に趣味の悪い冗談だが、彼がヘイトを向けられすぎた時期を経ていることを考えると異常な胆力に思えた。
 
「随分慎重なのね」
 そこで、後ろから女生徒が声をかける。俺たちがのんびりしている間に追いついた真がペットボトルを両手に立っていた。生徒会長である彼女は明智くんを招くことに最終的な決定をした本人であるはずだ。当然リハーサルにも参加するということなのだろう。
 
 彼女は俺に向かって一度会釈をすると、明智くんの前に容器を差し出した。勿論封は開いていない。
「はい、お茶」
「わざわざどうも」
「いいえ」
 どうやら彼の冗談混じりの憂慮に先回りしていたということらしい。思い切り私情まみれの祐介と種類は違うものの、高校生同士とは思えないやり取りからは並みならぬ緊張が伝わった。