仲間たちと分かれて電車に乗り込むと、ようやく俺は携帯に着信があったことに気が付いた。
習慣的な動作で着信履歴に目を向けたものの、実のところ相手を確認するまでもない。別れ際彼自身がそう言ったように、画面には兎田十眞の名前が一件だけ表示されていた。
その名前を凝視しつつ、果たして掛け直すべきか。と迷いが生まれる。それはいままで想像もしなかった躊躇いだ。これまでなら、移動中の電車内であろうとすぐに降りて掛け直したはずである。
そのまま開くことなくスマホを鞄に押し込むと、俺は行き先を変えることにした。通話なんて、まだるっこしい。直接目を見て話がしたい。会いさえすれば状況は変わると思った。
しかし俺の想いに反して、十眞の家は無人だった。
誰もいない玄関先で立ち尽くしていると出会ったばかりのころを思い出す。時間は20時を過ぎた頃だ。常識的とは言い難いものの、まだどこかで働いていたっておかしくはない時間である。
指先に鍵が触れる。彼が俺のためにくれた鍵。あのときと違って、俺は家主のいないこの家へ入ることができる。夏休み中はさんざんやってきたことだが、ここにきてやはり逡巡が生まれた。少し考える俺に風が吹きつける。秋の風は日が落ちるだけで随分寒さを増してきた。
このまま俺が吹き曝しでいることを十眞は望まないだろう。自分でも驚くほど自然にそんな考えが浮かんで、俺はようやく気を落ち着けることができた。
「真っ暗だ」
予想通り暗い部屋内に入り、勝手知ったる手つきで明かりをつける。
十眞はどこか俺に引け目を感じているようだったが、それは少し検討違いで、俺こそが彼との接触を避けていた原因である。
俺は所在なく、ソファに腰かけた。──パレスの主である春の父を死なせてしまった。奥村氏死亡の一件はショッキングな映像とともに日本中に知れ渡った。恐れていたことが現実になってしまったのだ。
欲望の奪い方を誤ると、生命を奪うことに繋がるというのがモルガナの見解だ。俺たちがパレスを去るとき、奥村氏の意識ははっきりとしていた。それに、会見でのあの様子はとても「欲望を失った」だけとは思えない。何か外部からの干渉があった。そう見立てるのが正しいだろう。
しかし、他に加害者の存在があるのだとして、それで俺たちに非がないとどうして言えるだろう。きっかけを作ったのは間違いなく俺たちで、これまでやってきたことだって同じ結末になる可能性があった。
世間での俺たちへのバッシングには何の間違いはないと思ってしまう。仲間たちのしたことに過ちはないと信じたい。だが目を背けることがかなわないほどに現実は無慈悲だった。
気づくと俺はソファへ上体を預けきっていた。深く息をつく。
(十眞に会ったとして、一体何を弁解する気なんだ。俺は)
意を決して十眞に俺の絵を見てもらってから、はたして何が明かしていいことで、どこからが悪いことなのか判断に迷うことがある。怪盗団絡みのことは、当然打ち明けることはできない。これは俺のみならず、仲間たちを守るためでもある。どうあれ俺の一存では決められないことだ。
それにあの日、寮に招いて迫ったことはどう考えても性急だった。やはり、いまの俺が彼に釈明できることなんてひとつもないのだ。
……それでも会いさえすれば。たとえ何の妙案が浮かばずとも、俺はまさしく縋り付く想いだった。
だがこういうとき、物事はことごとく上手くいかない。
一晩待っても、十眞は家に帰っては来なかった。心持ちとしては、いつか彼が帰ってくるはずの家で何日待ったって良かったのだが、いま怪盗団は危機的状況で気がかりはひとつだけではない。
払拭できないフラストレーションを抱えたまま、ルブランへの招集を受けた俺はひたすら眉を顰めている。その視線の先では明智吾郎が薄笑いを浮かべていた。
「一時的な協力関係とはいえ、味方に向けるべき顔じゃないね」
なぜ睨まれているかの理由を訊いてこないあたり、何が俺の頭を占めているかが分かっているのだろう。ならばこちらも遠慮はいるまい。そのまま表情を改めずにいると明智は肩を竦めた。
俺たちは事態の手がかりを求め、そして真の姉・新島冴を止めるために新たなパレス攻略に挑もうとしていた。その中で明智と利害の一致を認め、こうして協力をすることにしたのである。実の姉とはいえ、真にも検事としての新島冴のことは分からない。その点、明智は探偵という職業柄彼女と関わっていたらしい。協力者として打ってつけというわけだ。
ついこの前まで敵対相手の代表格であったともいえる相手に、怪盗団メンバーの視線はぎこちない。そんななかでただ一人、暁だけは落ち着いた調子を崩さない。そのことに頼もしさを感じつつ、俺だって頭を切り替えるべきと分かってはいるのだが、胸の内にある感情を無視することができないでいた。
「僕だって、彼が君たちの知り合いだなんて思わなかったんだから仕方ないじゃないか」
溜息混じりの口調はいかにも常識ぶって取り繕っているが、これは撒き餌だ。「彼」、などと敢えてぼかすのもわざとらしい。現にその言葉を聞いた杏などは身を乗り出しかかってすんででそれを止め、代わりに俺の方をちらちらと確認した。
杏の言いたいことは痛いほどわかる。明智は首の動きだけで次の俺の発言を促した。
「訊きたいことは十眞から聞く」
「その本人に会えてないみたいだけど?」
それは全くもって図星だが。なんと言われようと考えを改める気はない。言えないことがあるのはお互い様で、ならばそこにある理由を知る前に暴くような真似はしたくなかった。
「じゃあ一体何の文句があるんだい」
頑なな態度を窘めるように明智は言葉を続ける。俺の内でいままさに蟠る想いは文句ではなく、ある純然たる事実だ。そこまで煽るというのなら言ってやろうではないか。俺は涼しい顔の明智に向かって少々距離を詰めて言い放った。
「十眞と文化祭に行ったのは俺のほうが先だ」
よほど意外だったのか、目の前の顔から芝居ぶった表情が剥がれる。対して俺の方は言いたいことを言ってやれたのでひとまず満足である。彼を連れ出したのは俺が先。しかもこちらは完全プライベートだ。
「なんだ、まともにデートもしてるんだな」
「まあな」
黙ってしまった相手の代わりに暁がそんな感想をぼやいた。デート、とは銘打ってはいなかったものの、そう言われれば気分は上向く。十眞がどのような経緯で明智と秀尽を訪れたかは分からずとも、あの日俺が彼から贈られた思い出と言葉に敵うものはそうはないだろうから。
「明智くん。祐介はこうだから」
だから、何言っても無駄よ。と、静かに真が声をかける。
明智は言うべき台詞を探すことさえ放棄したように、ただ閉口していた。
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