カジッチュにまつわる小話

「ほら、帰れって」
 諭しながらあしらっても、その手にじゃれつかれてしまう。

 風に煽られて林檎がころころ転がっているようにしか見えなくてもカジッチュはれっきとしたポケモンだ。正確には林檎を棲み処として中に潜む変わった生態のポケモン。それが木の上から落ちてきたのをおれは通り掛けに偶然見かけたのだ。ここは街道にもなっているため何度も通ってはいるのだが、カジッチュの生息地だったとは知らなかった。

 いつもならなかなか見ることはない青虫にも似た本体が草むらでなにやら焦ったように蠢いていてはなんとかしてやらなきゃ、と思うのが心情だろう。そばに落ちている林檎を渡してやると一目散に中に潜り込んだ。さてそこまではいいものの、一向に木の上に戻る様子がない。アオガラスにも手伝ってもらって帰そうとしているのだが、カジッチュは逃げるように身を隠すだけでうまくいかないのだ。

「怯えてしまっているようですね」
 どうしたものか悩んでいると真上から知った声が降ってきた。
「ハッサク先生!」
 身を屈めて声をかけてくれたのはハッサク先生だった。驚いて顔をあげたおれに、先生は瞳をやわらげてはにかんで見せた。
「少し時間がかかっているようでしたから、お迎えにきてしまいました」
 実は先生とはこの先の町で待ち合わせをしていたのだ。心配させた立場なのに、先生と少しでもはやく会えたことに単純なおれは顔が緩んでしまう。

「木まで戻そうとしてくれたのですね。でもカジッチュは鳥ポケモンが天敵なのですよ」
 なんと、おれがしていたのはまったく逆効果だったのだ。先生に教えられ、おれはあわててアオガラスをボールに戻した。ポケモンと付き合うには生態の理解が必須だ。それも知らずに勝手な行動をとるのはいいことではない。それはアカデミーでも教えられたことだ。
「ごめんなさい、おれ……」
「大丈夫ですよ。一緒に木へ帰してあげましょう」
 小生も手伝いますですよ。と、先生の声は焦るおれを落ち着かせるように響く。確かに先生の背なら低い枝のところまでなら届くだろう。先生の言葉に甘えて、彼に手渡そうとおれはカジッチュを拾い上げた。アオガラスがいなくなったことで、カジッチュは林檎の中からひょっこり両目だけを出してこちらを見ている。手の中からギュゥ、と小さな鳴き声が聞こえた。

「おや。どうやらカジッチュはきみの想いを理解しているようですよ」
 カジッチュはこう見えてドラゴンタイプだ。ドラゴン使いである先生には通じるものがあるのかもしれない。先生に促されて、じっくりカジッチュを眺めてみると本体を覗かせながら控えめに鳴く姿はたしかにこちらに感謝を伝えているようにも思えた。

「カジッチュにとって林檎から離れてしまうのは命の危機に直結することなのですよ。この子はきみに助けられたというのが分かってる」
「そんな、大袈裟な」
「大袈裟なことなんてないのです!」
 本当に、たまたま見つけただけなのに。そう言うと先生は今度は少し強い語気になって断言した。カジッチュはそれに呼応するように先生の手の中へ跳ねていく。それを受け止める様子はさすが、扱いによく慣れているようだった。先生はカジッチュと見つめ合って何度か頷くと次にこう言った。
「どうでしょう。これを機にこの子を育ててみては」
「えっ!」
「この子もそれを望んでいるように思うのですが……」

 先生がそう言うならきっと本当にカジッチュはそう思っているのだろう。でもおれはドラゴンタイプを手持ちにしたことはない。一般に、ドラゴンタイプってほかのタイプより育てるのが難しいと聞くからなんとなくいままで避けてきたのだ。

「小生がいるじゃないですか! 小生、アカデミーでは美術の先生ですが、リーグではドラゴンタイプの四天王を任されていますから!」
「そ、それはそうですけど!」
 不安がるおれに、先生はさも名案!という表情だ。おれだって頼もしすぎる肩書を忘れているわけじゃないんだけど。
「ポケモンの育成に資格がどうとか拘っている人間もいますけれどね、当人たちが望む形が一番だと小生は思うのですよ」
「当人たちが……望む……」
 なかば呆気にとられて口にすると、先生の言っていることがしみじみと頭に入ってくる。先生の手から再びおれのもとへ戻ってきたカジッチュはもうその気みたいで、おれの手の中で林檎ごと転がった。
「ナナシくんの気持ちはどうですか」
 先生はそう言って問いかけるけど、けしておれの答えを急かしているわけじゃない。むしろその表情はこちらの逡巡の行く末を見守るようだ。

 あらためてカジッチュを見る。こっちを窺うみたいに目だけ出しておれを見てる。それと目が合うとなんだかおかしさがこみ上げてきた。
「あは、変なやつ」
 つい笑ってしまうと受け入れられたと思ったらしいカジッチュがぴょんと身を乗り出した。ちょっと誤解だけど、もうおれもその気になってしまった。
「良かったですね!! カジッチュ!」
 先生が感極まった声で喝采する。先生の拍手はほんとうに大きな音が出るのだ。讃えられてカジッチュはなんだか嬉しそう。

 そんな経緯で突然新しい仲間を迎えることになったので、おれと先生は一度町へ向かう前にほかの手持ちと顔合わせさせることにした。ポケモンを出すには何が起こるか分からないぶん、町中よりも外の方がいい。ピクニックテーブルを出してその近くにボールを投げる。
 さっきも会わせたとおり、おれの手持ちには長年の付き合いであるアオガラスがいる。まずはそいつと仲間だってことを分かってもらわないとならない。
 ボールに一度入ることで親近感みたいなものが生まれるのだろうか?アオガラスと再び顔を合わせたカジッチュはさっきほどの怯え方は見せなかったのでひと安心だ。野生ではいろいろある間柄でも、トレーナーが同じということをポケモンたちは理解する。そこからどう育てていくかはトレーナーにかかっているわけだが……。

「林檎のなかに入るのは擬態ではありますが、カジッチュは林檎から得る水分がなくなってしまうと弱ってしまいますから気を付けて」
 ドラゴンタイプ初心者のおれに先生は丁寧にその生態を教えてくれる。敵から身を隠さなきゃいけないっていうのは分かるけど、それで真っ赤な林檎を選ぶなんてやっぱり変な生き物だなあと思う。よく観察しないとその林檎にカジッチュが潜んでいるかを見分けるのは難しい。もっと美味しくなさそうなものに擬態したほうがいい気がするんだけど。
 おまえ、いままで食べられなくて良かったなあ、と指でつついても、おれの心配なんて知らないカジッチュは暢気な顔をしている。
「ナナシくん、カジッチュのこと気に入ってくれたようですね」
 また口が綻ぶおれを見て先生は嬉しそうに微笑む。
「だってやっぱり変なんですもん。これじゃかわいいだけで、余計食べたくなっちゃいますよ」
「そうですね……」
 それを聞く先生は肯定的な相槌をうつ。ハッサク先生はドラゴンタイプにつよい思い入れがあるようだから、軽々しくかわいいとか言うのに同調するのは意外な気がした。

 カジッチュを指でつつくのをやめて彼へ目を向けると、いつのまにか先生の目はばっちりおれに向けられていた。
「きみの言う通りです。かわいいものは食べたくなっちゃいますからね」
 先生の言葉はまるきり同調するようなのに、おれとは違うことを言っているように聞こえてならない。その証拠に、こっちに向けられた先生の視線を受けていると首の後ろのあたりがじりじり焼かれるような感覚に陥る。それは先生の目が熱く、熱を持っているような色をしているからだろうか。

「さあ町まで向かいましょうか。なにか食事でもしながら育成についてお教えしますですよ」
「あ。は、はいっ」
 先生は、一度目を伏せるといつも通りのひだまりみたいな表情に戻って手を差し伸べた。確かに時刻は昼時近く、ちょうどお腹がすく頃だ。おれはいそいでピクニック用具を片付けて、こちらを待つ先生の手を取った。