ある転生に関する自然保護官の考察

 その日、ウァプラは朝方に領内を訪れていた。
 人々の活動開始、というような時間帯に顔を出すのは彼にしては珍しい。ヴィータたちの織りなす朝の空気は彼にとって、鳥たちの囀りを妨げる雑音でしかないからだ。

 ヴィータの活動時間とあれば、彼の血縁上の兄であるナナシの活動時間でもある。
 先日のウァプラのカミングアウトから数ヶ月が経ち、ようやく平常通りの時間に起床できるようになってきた彼である。ウァプラの宣戦布告に対して、いまひとつ明確な応えをもらえず仕舞いなのには目を瞑ることにしている。脆弱な生き物である兄に対するウァプラの温情は深いのだ。

「あれ、お帰りなさい」
 ウァプラの姿を視界に入れるなり、その兄が少し意外そうに目を丸くするのは想定内のことだった。
 家を空けがちであるウァプラは出て行くにも帰るにも気まぐれだったが、日の出ている時間から顔を出すのは頻度としてはかなり少ない。ついさっきまで領主然として申し分なかった顔つきが、自分を目に入れた瞬間にふにゃっとした締まりのない表情に変わったことも、ウァプラにとってはあまりに見慣れた光景だ。なのでいまは全身で弟の帰還を喜ぶ兄の姿よりも、目につく方の言及をすることにする。

「なんだ?その連中は」
 ウァプラは怪訝そうな様子を微塵も隠さず、兄に付属してきた輩に目を向けた。
 ざっと見渡しただけでも、それが見知らぬ顔触れであることがわかる。家人ではない。貴族には特権階級同士の付き合いというものがあるが、そのような身分であるようにも見えなかった。
「傭兵か?」
 疑問形の型を取ってはいるが、ウァプラは自分の導き出した回答に確信があった。男たちの身なり、立ち振る舞いを観察した末の結論だ。それ自体に驚きはないし、さしたる興味も覚えないのがウァプラである。しかし他でもないナナシが、そんな連中を連れているという点については無関心でいるわけにもいかない。
 思考しながら、傭兵団のリーダー格らしき男に視線を送れば、男は大層な体躯を僅かに縮こまらせた。

「調査依頼の使者が王都から来ていてね」
 初対面の人物との睨み合いを開始してしまった弟へ、ナナシは応える。なにかと人と衝突しがちな弟のコミュニケーションのクッション役を、いつしか彼が担うようになってしまったのは無理からぬことだった。
 兄の機転でウァプラの眼光から逃れることのできた傭兵たちは小さく安堵する。とはいえ、それはウァプラの不機嫌が収まったというわけではない。その矛先が別に向いただけだ。
「王都だァ?」
 まるで噛み付くかのような彼の様子に、傭兵たちは一様に首を傾げる。先程からあちこちに不快をぶつけているウァプラの態度といったらまったく貴族的でない。彼らも雇われる身とあって、権力者には何人も会ってきた。その経験を以ってしても、ウァプラのようなケースはいままで出会したことがない。
 領主の中には、王族をよく思わないものも勿論いる。しかしそういった謀反心はいざというときまで内に秘めておくものだろう。ウァプラの敵意がそれらとは違うのは誰が見ても明らかだ。

「討伐隊の追っている化け物が、こちらの方角へ逃げてきたとの報告があったんだ」
「の、わりにその討伐隊とやらの姿が見えないが」
「今回は名目上、調査依頼ということになってる」

 つまり、王直属のご立派な討伐部隊は確信を得るまでは王都から出てくることはないということだ。お上らしい傲慢さにウァプラは内心で唾棄する。王都と各領の関係はけして対等ではない。ナナシは体良く使われているだけのパシリである。直々の勅令とあれば断ることは困難だ。
 一通り状況を俯瞰するとウァプラは大きく溜め息を吐いた。これだからヴィータ社会というのは面倒でならない。
「道中変わったことはなかった?」
 ウァプラの憂いなど知らぬ顔で兄が会話を進める。彼がいままでいたのはここから東へ向かった先にある、名もない森である。ウァプラはそこで数日間滞在し、生き物たちを見守っていたが、異変は見受けられなかった。幻獣が近づけば気がつかないわけがない。

 元々ウァプラは縄張り意識の強いメギドだ。本来の姿であればテリトリー内を脅かすものの存在を察することなど造作もない。それを思うとヴィータである己の身に更なる苛立ちが募る。
 いっそう渋い表情を浮かべながらウァプラが東側には異常がなかったことを伝えると、ナナシは傭兵たちに向き直った。
「それなら目的地は変更するとしよう」
 街近くの森は他にもある。地図を開きながらナナシは方角を定める。どうやらようやく仕事ができそうだ、と傭兵たちは一息つく。また、彼らにとっては、出くわしてからというものこちらに警戒心むき出しの弟貴族から逃れられることも幸いだった。しかしその安堵とは裏腹に、ウァプラは更に噛み付いてみせる。

「事情はおおかた分かったが、何故俺を待たなかった?」
 ウァプラには自分がここ周辺の土地にもっとも詳しいという自負があった。
 たとえ幻獣絡みでなくとも、一度人々の生活圏を出てしまえば外はヴィータにとって危険で溢れている。それこそ傭兵が仕事に溢れない程度には、だ。街の外はけしてヴィータの都合のいいようにはできていない。伴も連れずに日がな外界を出歩く物好きはウァプラくらいのものだ。だからこそ、自分より詳しく外を先導できるヴィータなどいないと思っている。
 こんな連中を雇うより俺を頼ればいいのだ、と少々非難めいた視線を投げかけられ、ナナシはたじろぐ。第三者から見ればつくづく上下関係のおかしな兄弟だった。

「それは、そうかもだけど……、だってお前はいつ帰るか分からないじゃないか」
 などと言って少々不貞腐れたようになる姿は、到底一人前の大人のする仕草ではない。まして領主などという立場の人間であればなおさらだ。弟と接してるうちに公的な立場であるのがついつい頭から抜けてしまうらしい。
 その態度はさておき、ナナシの判断は正当なものだ。ウァプラはあまりに神出鬼没すぎるのだ。不確定な情報とはいえ脅威の可能性がある限り、いつ帰るかもわからない相手を待つほどの猶予はない。
「……つまり俺がいればこいつらは用無しか?」

 ああ、この流れはまずい。
 いままで手持ち無沙汰に貴族二人のやり取りを静観していた傭兵たちに動揺が走る。ここの領主の依頼を受けるのは初めてだったが、これまでの会話で二人のどちらに主導権があるかは明白だった。リーダー格の男は目深に被ったバンダナの下で領主の反応を窺う。
「えっ、付いてきてくれるの?」
 ──あ。終わった。今日の大取引はここで終了だ。傭兵たちは確信した。
 分かりやすくトーンを上げたナナシの声が発せられるやいなや、ウァプラは大袈裟とも思えるほど大振りの武器を手に、兄と傭兵たちの間に割って入る。そして口汚く叩き出した。まるで害虫でも相手にしているかのような態度だ。

「オラ、金だけ持ってさっさと散れ!」
 言いながらも、しっかり相応の賃金を投げ渡すのは偏に兄の教育の賜物でもあるのだった。

 

 

「あの人見知りは治したほうがいいな」

 たった二人きりの行軍となった道すがら、ナナシが言う。前を行くウァプラの眉間にシワが刻み込まれる。自分が散々武器を振り回しながら傭兵集団を散らすのを見たあとの感想がこれだ。
 ウァプラはヴィータの身体に魂を押し込められた追放メギドであるが、ナナシもナナシでそんな彼と家族関係を続けてきた男だ。いくら血を分けたからといって、追放メギドとやっていくのには並みの感性では成し得ない。ナナシにはそのための素質がある。そう、彼は特別に、いっとう鈍感だった。

「別にどうでもいいだろ」
「よくはないよ。そういう態度でいるのは惜しいな、と思うし」
 そのうえ弟のこととなるとあらゆることが好意的に変換されるようにできている。人間関係にさして興味を示さないウァプラのあり方を、単に人付き合いが下手なだけだと思っているのだ。訂正するのも億劫なのでウァプラは代わりに大きく溜め息を吐いた。
「もしここに幻獣が潜んでいるなら、人手は多くてもよかっただろう?」
 口ではそう言うものの、ナナシからは浮き足立った様子が隠しきれていない。理性的な判断とは別の、感情的な面では弟との外出が嬉しくて仕方ないというところだろう。
「金で雇った連中なんか信用するな」
 ウァプラは四方に目を配らせながら、ずんずんと歩みを進める。ここらの森はウァプラの歩き慣れた場所ばかりだ。人が通りやすいとはいえない、無造作に草木の繁る中を、弟の背だけ追ってナナシも進んでいく。
 ウァプラが森を生活の主軸に据えたのは幼い頃からのことだ。その間ナナシを同行させたことはない。いまよりもずっと甘えただった兄を、お前は鈍いから、とその都度、街へ置いてきたからである。いまを以ってして、その判断は正しかったとウァプラは確信を強める。

 ウァプラにとって自分の血縁者はヴィータの習性である“家族”のモデルケースを内部から観察できる絶好の対象であった。ヴィータに対する興味はごく薄くはあるものの、それもまた間違いなくヴァイガルドを構成する要素のひとつだ。それを観察し、理解することは非常に意義のあることである。と、ウァプラは結論づけていた。
 彼がヴィータとして生まれる五年前に、ウァプラの親にはもう一人子どもが生まれていた。年齢の離れた大人たちよりも近しい存在であったナナシはウァプラの観察対象として格好の存在だった。ヴィータとして過ごしたウァプラの幼年期は大抵が街やその周辺に生息する生き物、そして兄の観察に充てられた。兄弟という概念はヴィータ特有のものだ。それ以外の生き物にとってはたとえ同じ親から生まれた個体であっても、生存のための競争相手である。例外は多々あるものの、より優れた種を残すため、弱いほうは淘汰されるのがひとつの法則だった。

 やがて文字を覚える頃に知ったのが、いまの自分の置かれた状況がまるまる“托卵”の形態であるということだ。生物図鑑の挿絵には、親鳥よりもふた回りも大きな身体の雛が餌を与えられている姿が描写されている。ヴァイガルドのある限定的な生物は、生まれた個体の養育を別の種族に託すことがあるのだという。ある種においては托卵を成功させるために元々巣にあった卵を蹴落とすことすらあるのだと。
 残酷だとは思わない。それが紛れもなく生き物の営みだからだ。

 ヴィータたちの中にありながら観察者に徹していたウァプラは、自らその輪から外れることを望んだ。雁字搦めの貴族社会が煩わしかったというのもある。それはウァプラにとってけして孤独ではなかった。そうしてウァプラが単独行動を選ぶごとに後から付いてきて、関わってくる存在がある。ナナシだ。
『グリプスは静かな場所を見つけるのが上手だね』
 そんなことを言いながら、ウァプラを喧騒の中へ連れ戻すでもなく覗き込む。同じ親から生まれたから、髪の色も眼の色もまるで鏡写しのようだ。それでもウァプラはこの個体を自分の家族とは認識できない。
 そんなウァプラに、ナナシはヴィータたちの食卓の中から食べ物をこっそり持ってくるとそれを分け与えようとするのだった。以前に気まぐれで受け取ってからというもの、弟は甘いものが好き、とインプットされてしまったらしい彼は都度、タルトやクッキーを運んでやってくる。ウァプラはそれを撥ね付けることができず、その認識を改めさせることなく受け入れてしまった。なにしろ、ウァプラが抵抗することなく菓子類を受け取ると、兄貴面のヴィータは大層嬉しそうに破顔するので、わざわざ否定することもないか、と甘んじて人工的な味を噛みしめるに至ったのだ。

 

 しばらく森を歩き回り、ウァプラは土地の安全を確信した。立ち止まり、僅かに警戒を解く。
 三下の幻獣クラスであればいまのウァプラが駆除することもけして不可能ではない。必要があれば外敵は排除する。そのための森の観察でもある。
 しかし今日は足取りの危うい荷物がくっ付いているので、幻獣がいなくてよかった、というのがウァプラの正直な感想だった。

「ここにはいない?」
「ああ。そのようだな」
 そもそも相手が幻獣であるなら、本能的にフォトンの豊富な土地へ逃れるはずである。大地の恵みを独占しているのは森ではなく、街に住まうヴィータたちのほうだ。街に幻獣が出ていないとすれば他の場所に出るというのは考えにくい。
 おそらくはメギドラル産の生物兵器の特性を王都も把握していないのだ。メギドラルでの記憶を引き継いでいるウァプラには常識ともいえる話だが、異界の情報に通ずるものがいないのでは分からなくても当然だろう。まして一介のヴィータであるナナシには到底知り得ない事実である。
「少なくともこの周辺には潜んでいないだろう」
 なので、説明義務をなかば放り投げ、結論のみを告げた。詳細を一切省いた台詞だったが、ナナシは心から安心したように息をついた。
「そうか。うん、それなら良かった」
 ……本当に、恐ろしく危機感の薄いヴィータである。いや、彼だって貴族社会を生きてきた身なのだ。ここまで警戒を解くのは弟への絶対の信頼が由来しているというほうが正しい。

「ッチ…、帰るぞ」
 王都からの情報がどこまで正しいものかは分からない。早々に連絡を取る必要があるだろう。だが、ここから先は兄の役割だ。ウァプラが促すとナナシも踵を返す。姿が見えるものは少ないが、多くの生き物の気配を感じてあたりを見回した。目線の先には鳥が数羽、こちらの様子を窺うように佇んでいた。
 野鳥はナナシでも馴染みのある部類の動物だ。枝の上に構える鳥の巣が、ふいに目に留まる。親鳥と、巣に対して歪に思えるほど大きな雛の姿が見えた。

「──あいつらは本当の親子じゃない、」
 動物に詳しくないナナシに代わって、ウァプラが解説を買って出る。奇しくも、ナナシの目に留まったのはウァプラにとって思い入れのある種だった。馬鹿馬鹿しい想像だとは思うものの、あの歪な親子関係はウァプラにとって他人ごとには思えないものだった。

「あれは“托卵”といって、別種の生き物を仮親にする習性のある種だ。本来あったはずの卵はもうあそこにはない」
 野生に生きる鳥の心情など、メギドやヴィータが推し量れるようなものではない。しかし、ヴィータの家族に生じた一種の托卵行為は……、常人の感性からすれば悪魔的といわれてもおかしくはない。
 メギドの転生は、本来生まれるべきだったヴィータの存在を殺す。ナナシが敬愛している弟とやらはとっくの昔に悪魔に取って代わったのだ。

「……それでも良かったよ」
 ドのつく鈍い感性を持った彼はそんなことも知らずに穏やかな声色で巣を見つめる。ウァプラの心中はにわかに騒めく。

「クソ……、家帰ったら泣かす」
「え、ええ……?」
 出まかせの脅しはしっかりナナシの耳に届いたらしい。面白いほど青くなったり赤くなったりする兄の顔を見てウァプラはちょっとした意趣返しを果たした気になった。

ヴィータ名修正。(2019.08.01)