実験体n号

「やけにタフな幻獣でしたね、ソロモン王」
 彼女ご自慢の武器を収め、マルコシアスがソロモンへ労いの声をかける。
 旅を始めたばかりの頃は覚束なかった仲間たちの連携も、今では下級の幻獣程度では全く引けを取らないほどに成長していた。下した相手はそれなりに骨のある幻獣ではあったが、たった一体とあれば戦術はいくらでもある。数の多さは力だ。それをソロモンは実戦で日々痛感していた。

「ああ。だけど、この調子なら日が暮れるまでには街に着けそうだ」
 戦いが終わり、一行の中に緩んだ空気が流れる。すると、思い思いに口を開く中、ある音が聞こえてきた。
地を這うような唸り声だ。

「そろ、もン……?」
 ノイズ混じりのそれは意識して聞かなければ単なる音に過ぎない。しかしソロモンの耳はそれがしっかりと自分の名を呼んでいることを聞き分けた。ほかのメンバーも同じらしく、皆一斉に一点へ視線を向ける。その先には狼とも魚ともつかない、めちゃくちゃな造形をした幻獣が横たわっていた。ついさっき撃破した相手だ。
「こいつが喋ってんのか?」
 顔を顰めてモラクスが言う。基本的に幻獣には高い知性がない。それでも例外というものがある。ものを喋る幻獣がいるということも経験として彼らは知っていた。これもその類だろうか。
「そろもン、ソろもん王カ……?」
 ガフガフ、と獣の唸り声を含ませて、けだものが言う。痛めつけられたこともあってかなり発音しにくそうにしながらも、けだものは言葉を口にする。

「ああ、俺がソロモンだよ」
「ちょっと、軽率よ」
 自ら名乗り出たソロモンに苦言を呈するのはウェパルだ。彼女からすれば幻獣が人語のようなものを話したところで、それは大きな問題ではない。あらゆる面倒ごとを避けることこそが彼女の美徳だった。
「ク、クク、まさか王にマミエることになろうとハ、」
 ソロモンが自分の言葉に応じたと分かると、けだものは身体を震わせだす。笑っているのだ。毛むくじゃらの口が大きく横に裂け、薄気味悪い。しかしその様子からは単なる幻獣とは異なる知性が宿っているように思われた。ウェパルの制止を退けて、ソロモンは蹲る幻獣に向けて歩を進める。そしてまた声をかけた。

「お前は、何だ?」
 駆け引きも何もない、率直な言葉である。頭の痛みを覚えたのはきっとウェパルだけではないだろう。
 けだものは大きく息を吐くと音を紡ぎだした。
「オレを幻獣とでも思ったカ、……マァ、無理ハない。こノ姿ではナ」
「幻獣でないなら何だというのだ」
 問答を嫌うガープが話を急かす。けだものは長い舌をもつれさせそうにしながら言葉を口にする。おそらくだが、人語を話すにはそもそもの構造上に無理があるのだ。けだものは何度か意味のなさない音を漏らしながら言葉を続ける。
「オレはメギドだ」
 その音はひどく明確に一行の耳まで届いた。

「ええ!? どゆこと!?」
 すかさずシャックスがお決まりの声を上げる。しかし今回に限っては彼女以外のメギドたちも驚くことしかできない。このけだものの正体が本当に幻獣の外見を装ったメギドならば、無視できる存在ではなくなるからだ。
「忌まわしキ護界憲章が為にこのような姿ニ甘んじているノダ」
「そこまでして、一体何が目的だ? 侵略か?」
 メギドと幻獣の自意識には天と地ほどの差がある。誇り高いメギドたちにとって、たとえ作戦であったとしても幻獣の姿を取ることは相当な屈辱だろう。同じくメギドとしての過去を持つブネにはそれが理解できる。
「……探シびとダ」
 けだものが、ポツリと呟いた。
「探し人?」
 ソロモンの鸚鵡返しにけだものは首肯する。つまり、このメギドは遥かメギドラルから人を探して、姿を変質させてまでヴァイガルドの地へやってきたというのだ。
「ソロモン王よ、キサマは幻獣を殺シテ回っていルのか? メギドを殺して回ッテいるノカ?」
「それは……」
 嘲笑を含んだようなけだものの言葉は別段、ソロモンを非難するものではない。弱きを挫くのはメギドラルの在り方だ。けだものも、力で負けていったものたちに同情するような質ではなかった。
──しかし、もしそうであるならば。

「で、アレバ、既に我が探しビトはキサマに屠られタあとかもシレヌな……」
 そこまで言い切ると、けだものは気怠げにいっそう深い息を吐く。元々決死の戦いで負傷したあとである。本来ならばいつ消滅してもおかしくないほどの傷だ。むしろ会話に適さない身体を駆使しながらここまでよく保ったと言えるだろう。

「……待ってくれ、お前のその探してる相手って誰なんだ?」
「おいソロモン!」
 けだものが事切れる間際、ソロモンはそんなことを口走っていた。ブネが言葉で制したものの、伏した異形の塊に無防備にも駆け寄るのを阻む者はいない。それはソロモンへの信頼でもあり、もうけだものが長くはないと全員が理解している証左でもあった。
 弱きヴィータの身でありながら、己の元へと膝をつき、顔を寄せる少年の姿を目に入れ、けだものは僅かに目を開く。──叶わぬ想いであるならば、ここで消え去るだけならば、望む答えを出してやってもいいか。けだものの脳裏にそんな想いが過ぎる。そうだ、この名は己が追い求め、待ち焦がれた名。
「……アンドラス」
 幾度も幾度も繰り返し飽きた名前を口に出したあと、けだものは事切れるはずだった。しかしそれを伝えた瞬間に場の空気は一転する。ソロモン王の一行は一人残らず驚きに顔を歪め、一斉に捲し立て出した。

「アンドラスだって!?」
「アンドラスって、あのアンドラスか!?」
「ヴィータならまだしも、メギドで同名というのは聞いたことがないな……」
「じゃあこのヒト、ドラドラのトモダチってこと?」
 騒めくメギドたちの中、少年が静かに決断を下す。

「──バルバトス、頼む」
 ソロモン王の言葉は多くを語らなかったが、バルバトスには自分が何を求められているのかがすぐに理解できた。一行の中で回復を担うのは彼の役割だ。敵か味方かも分からぬまま相手の傷を癒すことは彼自身、思うところはあるものの、それもこのメギドが死んでしまってからでは手遅れとなってしまう。
 王の望み通り、バルバトスは横たわる体躯に治癒の力を与える。ついさっきまで戦っていた相手だ。しかしそれが何者であれ、この王は差し伸べる手を躊躇うタイプではない。

「アンドラスを呼び出して確認させましょうか?」
 僅かに声を潜めて告げるマルコシアス。確かに真偽を確かめるにはその方法が一番だろう。ソロモンは腕を組んだまま一考する。
「幻獣の姿になったメギドを召喚したらどうなるのかな」
 彼の言葉に場は、またどよめいた。
「さ、さあ? 例がないからどうなるかは分からないな」
 この事態には流石のバルバトスも戸惑うしかない。一行の知恵袋でもある彼に分からないのであれば他の誰からも望む回答は得られないと思っていい。

「俺たちがこいつと戦ったのは人里に危険が及ぶと思ったからだ。こいつは正当防衛を取っただけで、そもそも戦うべき相手じゃなかったのかもしれない」
「そうは言ってもなあ、見てくれが幻獣じゃそこまでの判断はつかねえよ」
 そう言うソロモンの言葉節からは僅かに後悔が滲んでいる。ブネの言う通り、幻獣はメギドラルの生物兵器だ。その存在自体がフォトンの略奪、ヴィータへの侵略を担っている。本来であれば発見次第駆逐するのが正しい判断であり、今回の事態はイレギュラーもイレギュラーだ。それでもソロモンは自分の所業を「仕方がなかった」と断じることができない。純正メギドの仲間も増やしつつある彼にとって、メギドにも多様な価値観があり、一枚岩でないことを知っているからだ。

「……メギドの魂を幻獣の身体に収めているって構造なら、俺たち追放メギドの身とそれほど違いはないかもしれん」
 ガープの言葉はあくまで私見で、ソロモンの行動に対する是非ではない。それでも彼の意見はソロモンの胸に希望を与える。バルバトスが治療をする傍らに、ソロモンは腰を下ろす。けものの目を覗き込むと、両目のガラス玉はしっかりソロモンのほうを向いており、そこに宿る意志を伝える。

「なあ、あんた俺に召喚される気はあるか?」
 マルコシアスの提案通り、アンドラスを呼び出しても構わない。しかし、ただ呼吸を繰り返すけものの身体は今にも消滅してしまいそうで、とてもそれを待つだけの猶予はないように思える。これが最善の策ではないのかもしれない。それでもこれを逃せば更に深い後悔がやってくる。ソロモンは意を決してけものに語りかける。ガラスの眼はソロモンに視線を合わせ、了承の形に歪んだ。
「──召喚!」
 フォトンを掻き集め、祈りを込める。
 けだものの身体は見る見る変容していき、新たな形が再構築される。四つ脚だった姿は二本脚となり、獣毛に覆われていた身体はその色を変える。

── 一行の前には青年が立っていた。メギドラル流の省エネ姿。ヴィータ体を模した姿だ。
 自分の姿が変わったことを確認すると、黒髪をほうぼうに伸ばした男はすぐさま吼えたてた。
「アンドラスはどこだ!!」

 その言葉節には先ほどまでのたどたどしさはない。やはり幻獣の身体で無理やり会話をしていたらしい。ひとまず会話に問題がなさそうなことに一行は安堵した。しかし、男の咆哮には首を傾げざるを得ない。再会を望む相手の名をまるで仇かなにかのように叫んでみせたのだから。
 何かがおかしい。マルコシアスは慎重に言葉を選んで声に出した。
「身を捨ててまで彼を追ってきたのではなかったのですか……?」
「そうとも!そうだ! 全ては復讐のためにだ!!」
「エエー!? アニキ!こいつこんなこと言ってるぜ!?」
 戸惑う一行を置いて、メギドは恨み節を開始する。けだもののときには予想できなかったほどの早口だ。むしろ、これだけ口達者だったからこそあんな身体で会話できるまでに至ったのではないだろうか。そんな憶測をしてしまうほどに彼の台詞は止まらない。

「実験(や)ること実験(や)ったらとっとと追放されおって、俺のこの怨みはどこへぶつければいい!?許すはずがない許せるわけがない!奴が追放されてからというもの、ヴァイガルドへ赴く方法を見つけるまでに10年、だがいざやってきてみればそこかしこにヴィータ!ヴィータ!ヴィータ!区別はつかんし幻獣の姿では人探しもできず、更に5年の歳月を費やした!この怨みを!!」
「わー!この人バカだ! バカバカだー!!」
「何が戦うべき相手じゃない、だ!? 敵意むき出しじゃねーか!」
 十何年、相当フラストレーションが溜まっていたのか、男の怨嗟は止まない。つまり彼はアンドラスの旧友でもなんでもなく、報復のためにやってきたのだ。アンドラスの普段の調子を知っている面々にとってはそれなりに信憑性のある反応にも思える。彼を仲間に引き込んだのは時期尚早だったかもしれない……、一行の胸中に不安が宿る。

「えっと、アンドラスは俺たちの仲間なんだ」
 ソロモンが言うと、男の怨み節がピタリと止まる。遅れて呼吸がやってきて、男はやっと生命活動を思い出したかのように何度か息をした。
「嘘だな。あの解剖狂が他人と共同生活などできるものか」
 男の声色はすっかり平坦なものになっている。5年も獣として生きていたなら無理からぬことかもしれないが感情の起伏が極端すぎてついて行けない。
 だが、男の言い分も少しは理解できる。アンドラスが団体行動に不向きな性格であることは確かだ。
「分かった。証拠を見せるよ」
 ソロモンは再び意を決する。
「まさかアンドラスを召喚するのか? 危険だろ、」
「遅かれ早かれアンドラスには会うことになるよ。みんながいるアジトで鉢合わせるよりはここの方がいい」
 余計な外野を巻き込むよりは、ここで直接話し合ってもらったほうがいいだろう。ある程度の危険も覚悟して、ソロモンは指輪に力を込める。何度か呼び出したことがある相手は問題なく召喚に応じてみせた。

「出先で俺を呼び出すなんて、なにかいい実験材料でもあったのかな」

 軽い口調を携えて現れたのは紛れもなく、アンドラス。かつて追放された解剖狂だった。鷹が爪を隠すがごとく、有害な生き物は時として場を弁えるものである。ヴィータ男性の形を取ったアンドラスの外見はまさにそれだ。物騒な思考を内に押し込めて、それを笑みで覆い隠す。それが追放メギドであるアンドラスの在り方だった。
 突然呼び出された彼はやがて辺りをきょろきょろと見回しだした。よく知った顔の中に異質なものを見つけ出す。

「アンドラス、こいつがお前に用があるそうだ」
 と、そこまで言われてもどうやらピンときていないらしい。促されるまま、しばらく相手の顔を、頭から爪先までを凝視していく。それを二、三度繰り返し、そうして、ようやく。
「やあ、ナナシじゃないか! 懐かしい顔だ!」
 ようやく合点がいった。

「な、な、な、キサマ、アンドラスか?」
 ナナシと呼ばれたメギドは目を白黒させて現れた彼を見る。
 その様子を見る限り、まさかアンドラスのヴィータ体を見たことがなかったのだろうか。それで彼を探し出そうなんてあまりに無謀だ。ソロモンたちはなんだか生温い気持ちに襲われる。

「どうしてここに? ……へえ、俺を追って?それは随分苦労しただろう」
 アンドラスの様子は平静だ。しかしその両目はいつのまにかギラギラとした輝きを宿していた。狂気を内に押し込め、目の前の肉体を値踏みしている。その目に見据えられ、ナナシの様子ははたから見ても腰が引けてしまっているように見える。どちらが被害者であるかはあまりに明白だった。
 ナナシが次の一手を繰り出せないまま、アンドラスの言葉は続く。

「君のことは指の先まで調べ尽くした気でいたけど、今度は幻獣と融合だって? ハハ、たまらないな。また俺に解剖されてくれるんだね!」
 仲間にとっては何度も見たことがある、解剖狂モードのアンドラスが降臨した。気迫に完全に押し負けてしまったナナシの顔色がさっと青くなる。それ以上は見ていられず、ソロモンが間に入ったのも無理はない反応だ。

「アンドラス! ナナシは仲間になってくれたんだ!仲間の解剖は禁止だからな!」
「ええ、そうなの?」
 あからさまに興が削がれた声でアンドラスはぼやいた。ナナシの瞳に敵意が戻る。
「ふ、ふん……! キサマも召喚者には頭が上がらないというわけか、嘆かわしいことだな!」
「そりゃそうさ。俺が好きにやれるのもソロモンがいてこそだからね……」
 調子を取り戻したかと思いきや、アンドラスに目を向けられた途端ナナシは無意識に後ずさってしまっている。もはや一行の中にナナシを警戒する者はいない。むしろ彼に対する同情のほうが大きいと言えるだろう。

 つまるところ二人の関係はなんなのだろう。並々ならぬ仲であることは察しがつくが……。その問いに応える形でアンドラスは言ってのける。その顔つきはいつものアルカイックなものだ。

「あらゆる体液を注入したり吸引したりした仲だよ」
「ソロモン王!! 聞いちゃダメです!! えっちな話ですよこれ!!」
「いや、どっちかというとエロよりゴア方面の話なんじゃないかな……」
 小刻みな振動を始めたナナシの反応を見るにマルコシアスの想像よりもバルバトスのほうが的を射ているようだ。
「俺は許さん、絶対に後悔させてやるからな……!」
 恨み節を吐いたところで仲間たちの彼への同情は払拭できそうもない。

「ナナシ」
 静かにアンドラスが呼びかける。その顔からは一切の表情を読み取ることができない。しかし、瞳だけは相変わらず怪しげな光を帯びている。

「また会えて嬉しいよ。」
 それはあまりに平凡なセリフだった。にも関わらず全員の体感温度が何度か下がったのは言うまでもない。