みかくんとタコパする話

「みかくん! こんにちは!」
 玄関の扉を開けると、夜一郎の快活な笑みがみかの目の前に現れた。みかが今年から住むことにしたアパートは単身者用であり、玄関も狭い。訪問者と庶民染みた間取りとのあまりのミスマッチさにみかはそれだけでなんだか申し訳のない気持ちになってしまう。みかがまごついている間に夜一郎はお行儀よく脱いだ外履きを揃えた。

 宗のパリ留学の一件はみかにとっても夜一郎にとっても突然の出来事であった。
 彼が日本を離れるとなると、みかもいつまでも斎宮家に世話になるわけにはいかない。そういった経緯で一人暮らしを始めたみかを夜一郎も何かと気にかけているらしく、多忙の合間を縫って二人の親交は続けられていた。人形ではなく人間として、自立した生活を目標にはしていても、それは一朝一夕で成せることではない。夜一郎は自立という点においては模範ともいうべき存在だった。
 そんな二人はある日、連れ立って煌びやかなレストランへ赴いた。勿論誘ったのは夜一郎だ。みかの生活は相変わらず節約に追われていたが、ES内通貨を利用すれば相場はいくらか安く済む。だから校内アルバイトで貯めたそれでES内のカフェやレストランを利用したこともあった。その経験がみかを油断させていた。会社の社長でもある夜一郎の経済レベルが想像出来ていなかったのだ。豪華絢爛のコース料理を前にして、みかの胃袋は案の定すぐにひっくり返り、それはもう散々だった。そのときの夜一郎の動転ぶりといったら凄まじく、緊急搬送される自分の手を握りながら「みかくん、ごめん、ごめんよおおおお」と泣きじゃくっていたのをみかはよく覚えている。救急車まで呼びつけたのは夜一郎の早とちりで、実際は高カロリーな料理に胃袋の処理能力が追い付かなかっただけに過ぎない。それはみかを知る人間なら周知である彼の体質なのだった。

「あれは俺の悪い癖だ。つい、自分のしてやりたいことが最優先になってしまう。本当にすまなかったね」
「んあ、謝らんといて。おれがおかしいだけやから……、作ってくれたひとにも悪いことしたわあ」
「いやいや。俺が強引に連れて行ってしまったから、君は断る隙もなかっただろう。料理人にはしっかり話をしておいたから気にしないでおくれ」
「んあ」

 一息に捲し立てる夜一郎に、みかはもうひとつ、んあ、と返した。会話のスピードが違いすぎるので、どうしたってみかは反応が遅れてしまうのだ。それに気が付き、夜一郎は言った傍から自分のペースで話してしまったことを反省する。
「ええねん、おれ、鈍くさいから」
「いや、それじゃだめだ。俺に過ちを繰り返させないでくれ」
 みかが曖昧に笑うのを夜一郎はきっぱりと断じる。こういう一面を目にすると、彼と宗は似たところがあると思う。普段は真逆の性質ともいえるほどなのに不思議だ。ぼんやり考えるみかの真正面で、量販店で買ったクッションの上に腰かけた夜一郎は持ち込んだものの荷解きを始める。彼が持参した袋の中には事前に連絡された通りのものが入っていた。

「たこ焼きメーカーです!」
「ほんまやあ」
 これこそが今日集まった本題だ。二人でたこ焼きパーティ、通称タコパをしよう!と提案したのはまたもや夜一郎の方である。それは世間知らずの彼のボキャブラリにもともとあったとは思えない単語で、一体どこから仕入れた情報なのかみかには分からない。ただみかの出身地と、文化祭のときにお好み焼きを好んで食べていたのを覚えていたから、というのは確かなことだった。きっとこれは夜一郎なりの埋め合わせだ。

 小さな机の上に機械を置いた夜一郎がじっとみかの方を見ている。期待と不安の混じった目だ。彼の気づかいに自分も応えなければ。みかは背筋をちょっと伸ばした。
「あ、おれもな、材料買うてきたで。夜一郎さんいつもぎょうさん食べるから、タコもいっぱい」
 冷蔵庫からトレイに乗ったままのタコを取り出すと、そのぶにぶにした吸盤つきの物体を夜一郎はもの珍し気に観察しだした。もしかしたら調理前の食用ダコを見たことがないのかもしれない。

 たこ焼き生地の作り方は単純だ。みかははるか昔の記憶を頑張って引き出した。実を言うと彼もそれほどたこ焼きづくりに経験があるわけではない。施設で何度か作ったこともあったが、そのときもあまり上手くは焼けた覚えがない。まさか自分が主導して誰かと料理をすることになるなんて。みかは深呼吸して自分の心を宥めた。
 言うまでもなく、たこ焼き作りという選択は夜一郎がみかに合わせた結果だ。同時にみかにとっては自身の汚名返上の絶好の機会でもあった。それをしっかり自覚して、みかは意を決し立ち上がった。

「……俺、何をお手伝いすればいいかな?」
「えっ! ええと……ううん……、それじゃそこの流し台で一回たこ焼き器の鉄板を洗ってもらえると……助かります……」
 流石の夜一郎も材料の素のままじゃたこ焼きにならないことは分かるようだ。指示を仰がれて、慣れないことにみかは狼狽える。こちらに任せきりにしてくれればいいのに、どうやらその気はないようだった。
「うん」
「スポンジ青いのとー……洗剤オレンジの……」
「うん、有難う」
 タコをたこ焼き器のくぼみに収まるようにぶつ切りにするみかの隣で、夜一郎は言われた通りスポンジを手に取り、洗剤容器の説明を読んでいる。それを見るとみかは気が気でない。夜一郎に限っておかしなことはしないだろうが……。結局みかがすべての工程を終えるころようやく鉄板は洗われて、水分を拭きとられた。

「それじゃ、焼きます」
 いよいよ正念場である焼きの作業だ。熱されたプレートの前で夜一郎のまなざしが注がれ、みかは緊張に生唾を飲んだ。
 しっかり油を塗ってからひとつずつ偏りのないよう、素早く生地でくぼみを埋めていく。その手際を夜一郎は黙ったまま見詰めている。その視線を感じながらも、生地を垂らしてしまえば他のことにかまけている余裕はみかにはない。生地が固まりきる前に、専用のピックでくるりと丸を象っていく。すると少々手間取りながらも、概ねそれはたこ焼き型になった。みかの記憶ではかつて自分の作ったものはもっと不格好だったはずで、宗のもとでValkyrieとして活動している成果はこんなところにもあらわれるらしい。
 ほこほこ湯気をたてる球体にソース、マヨネーズ、鰹節をかけて完成だ。おお、と夜一郎から歓声があがる。皿に乗ったそれをみかはずずいと彼のほうへ押しやった。

「ど、どーぞ」
「俺が先に食べていいの?」
「その……美味しいかはわからんけど」
 と、みかはいつの間にか正座の姿勢になってそう言った。ひとに自分の作ったご飯を食べてもらうのってなんだかこそばゆい。去年まではみかの食事はたいてい宗が面倒を見ていた。彼もこんな気持ちになったことがあるのだろうか。少しそんな想いに傾きかけて、いや、彼は自分と違って完璧なのだから、と思い直す。

「わ、熱い!」
「あああ、気を付けてやあ。夜一郎さんに火傷なんてさせられへん」
 夜一郎は狼狽するみかにハンドサインで無事を伝えると、今度は慎重に二個目を口に運んだ。そのまま、また二、三個のたこ焼きがするする彼の口の中に納まった。その箸の進みっぷりはみかを期待させる。
「どうやろか……?」
「美味しいよ! みかくんも食べて食べて」
 心底からの賛辞にみかの頭がぽっと熱くなった。それじゃあひとつ、と自分でもつまんで食べてみたが、よく分からない。たぶん嬉しくて頭が浮かれているせいだ。味なんか分からなくても自然とみかが笑うと夜一郎もいっそうにこやかに笑った。そして一通りみか作のたこ焼きを味わったのち、まだまだたこ焼き器に興味津々の夜一郎に声をかける。
「夜一郎さんもたこ焼き、やってみる?」
「いいの? ぜひ頼むよ!」

 その後、中身のタコが分離したり、生地に歪な襞がついていたりするたこ焼きを二人でいくつか食べた。夜一郎のピック捌きは少しずつ上達の気配を見せたが、最後まで綺麗な球型を作ることはかなわなかった。

「いやあ、お恥ずかしい。味に形がさほど影響しない食べ物で助かったね」
 明るい声色のまま楽観的に夜一郎は言った。曰く、昔から手先での細かい作業は不得意らしい。宗の幼馴染というとみかにとってはりゅ~くんさんの顔が思い浮かぶのもあって、夜一郎のぶきっちょぶりは意外なものだった。
「お師さんやったら一番綺麗なたこ焼き作ってくれるんやろなあ」
 つい、彼のことを思い出してしまいその名が口から出てしまう。海を隔てた先にいたって、相手を思い返すのにそんなことは関係ない。

「……おれ、ほんとはあんたがお師さんのこと、どっかおれの知らない遠いところに連れてってしまうと思ってたんよ」
 ぽつりとした声色だった。そんなことを口走ってしまったのは寂しさからだろうか。自分自身の言葉に、みかは背筋をぎくりとさせる。

 宗はみかにとっての全てである。だから夜一郎が現れたときに感じた薄ら寒い不安の理由もみかには分かっていた。
 宗の愛するものはみかにとってだって愛すべきものだ。ずっとそうだった。でも夜一郎は違う。そもそもマドモアゼルと違って彼は人間なのだから、誰の所有物でもない。宗が彼に抱いているであろう愛情はきっと共有してはいけないもので、そうするとみかは寄る辺もなく悲しくなってしまうのだ。夜一郎個人との付き合いを始めてもその悲しみがなくなることはなかった。

「でもほんとは全然見当違いやったっていうか。こうやってあんたと二人して日本に残されるやなんて、こんなん予想でけへん」
 実際、みかの危惧していたとおり宗との別れは訪れた。だが彼のパリ行きに夜一郎は一切関わっていない。それどころか日本へ置いて行かれた立場としてはみかとまったく同じ境遇に陥っているのだからへんてこだ。
「せっかく苦労してこっちに帰ってきたんやろ? やのにおれとばっかし会うてるなんておかしいわ」
「おかしい?」
 返された相槌に、みかは口の動きを止める。そしてへらっとした笑いを引っ込めて、話し相手である夜一郎を見た。それはてっきり自分の言葉が否定されたと思って吃驚してしまったからだが、彼は穏やかな顔のままでみかの話を聞いていた。

 相手の考えが分からないとみかは不安になる。顔色を窺うにも良し悪しがあって、すぐそういった行動に出てしまうのは良くないことだと彼も自覚している。そうは思っていても半分本能のようなものなのでうまくいかない。

「んええ? だって、夜一郎さんはお師さんのお友達やもん……」
 それなのに、そんな彼を放って遠い異国に行ってしまうなんてあんまりなことだ。同じ立場だからか、みかは自然とそう思う。普段滅多なことでは宗に対して否定的な意見を抱かないはずなのに。だって、彼が夜一郎を置いていってしまったから、こんな狭いアパートで自分なんかと二人っきりでいなきゃいけないのだ。

 夜一郎の賑やかさはいつの間にか止んでいる。彼が耳を傾けてくれるので、このままではみかの頭にはつぎつぎ余計なことが浮かんできてしまう気がした。
「うーん。つまりみかくんは俺と会うことにあんまり納得がいっていないってこと?」
 彼はみかのもやもやとした気持ちになんとか寄り添おうとしているようだ。彼の言う通りなのかもしれない。宗がいないのに、彼が自分に構ってくれるのがみかにとってはどうしたって不可解なことだ。

「ち、違うんよ、不満があるとかやなくて、むしろ逆で。最近夜一郎さんが、まるで……おれの友達みたいやから」
 せっかちな宗とは違ってみかが喋りださない限り夜一郎は許してくれないようだった。なんとか言葉を探して、みかは自分の胸の内を彼に伝える。不安げな色で揺れる色違いの瞳の先で夜一郎は今日一番の笑顔を見せた。
 それはみかの疑問にようやく解答が与えられた瞬間だった。彼はみかを宗の代わりにしようなどと考えてもいない。全て分かってしまったあとでは、当然のことだった。

「今度は宗ちゃんにも食べてもらおうね」
 と、たこ焼きをお気に召したらしく夜一郎は言う。ソースの残骸が残った皿を眺め、宗の性質をよく知るみかは頭を悩ませた。
「そおやね。この機械、たこ焼きだけやなくてちっちゃいホットケーキも作れるらしいで」
 そう切り返したのは苦しまぎれの末だった。でもそれなら彼でも食べてくれる望みがある。少なくともたこ焼きよりは。宗の美意識も、夜一郎の期待もどちらもみかにとっては尊重するべきものだ。

「えっ!? たこ焼き器なのに!?」
「って言ってもおれも作ったことないけど……」
「か、革命的だ……」
 夜一郎は愕然としながら鉄板に熱視線を送っている。そのさまを見てみかは、彼の言う「今度」というのがいつになるかは分からないけれど、その日までにレシピを調べておかないと……、と気を引き締めた。

 もっと言ってしまうとこの日の出来事はパリで過ごす宗へほどなくして双方向からばれ、第二回たこ焼き会はわりとあっさり開催されることになるのである。