※シンセカイイベのネタバレを含みます。
Switchの発案したヴァーチャル世界、シンセカイには今日も青空が爽やかに広がっている。
時間経過とともに延々規則的に流れていく雲の動きを見ていると宗は自分の心がどんどん滅入ってくるのを実感していた。普段の彼であれば空がどれほど青かろうが然程気に留めないし、そもそも自然由来のものはあまり好まない傾向にある。それこそこの空間ではじめに目を覚ましたときのような、ジャングルなどの類には一秒だっていたいとは思わない。しかし、それでも失って初めて分かる有難みというのもある。そう思うくらいにはシンセカイで目にすることごとくに宗は疲弊していた。
明らかに不調である宗を見かねて、みかはますます空元気ぎみに動き回っている。そしてその様子を眺めることしか、いまの宗には自分の正気を保つ方法はないのだった。
「お師……、お兄ちゃん! 今度はクイズ対決やって!」
たとえデジタルな仕掛けで再現されたものとはいえ、みかの両目が期待にまたたくのは宗の審美眼を和ませる。なので、彼の言葉への反応が少し遅れる。妙な呼ばれ方に慣れないというのもあるだろう。
シンセカイでのお題解決──ここでの呼称に合わせるところのクエストにはいままで散々辛酸を舐めさせられてきたのだ。RPGを基礎として作られているからか、ここでのクエストはやたら肉体労働が多い。やれ道中のモンスターを討伐しろというのは、現実味もなければ到底Valkyrieの二人に見合う仕事でもない。それらに比べれば道の真ん中に突然現れたステージはまだいくらか現実的と言えた。……街中にいきなりバラエティめいた特設ステージが現れること自体が非現実ではあるが、そう文句ばかりもつけていられない。
これは二人に与えられた好機だった。なんとしてもここで遅れを少しでも取り戻さなければならない。みかはやる気いっぱいに、装備屋で買ったばかりのチェーンソーを握りしめた。こんなものが売っているくらいだから木こりの真似事をするクエストがあったっていいのでは、と宗は考えるが、少なくとも二人の前にはまだ森林伐採の依頼は届いていない。
とにかく、躊躇っている猶予などない。この企画の発案者であるSwitchの考えがどうあれ、巻き返しが必要なのは事実だ。宗は腹を据えて張りぼて同然のステージへ上がった。回答者が一人収まるようにできている席からは向かい合う形で対戦相手の席が用意されている。それらを見上げるような形で観客用の席まで用意されているようだ。
だがそこに気を掛ける必要はない。シンセカイへ来てからというもの、宗は異文化の知識をどんどん蓄えていた。その経験からすれば、こういう場合に用意されているのはプレイヤーではなく、舞台装置のひとつであるNPCのはずだ。そんな当たりをつけて宗は冷めた瞳でそれらを一瞥する。
と、有象無象の何者かが宗に向かって大きく手を振った。NPCとはゲーム上の進行に必要なシステムであって、余計な動きはむしろその妨げになる。宗は妙に思い、そちらに目を向けた。みかもその存在に気が付いたらしく、あ、と間抜けな声をあげる。
そこには夜一郎が記憶に違わぬ姿で立っていたのだ。宗の平静は一瞬で奪われる。
「な!?!?」
彼が自分の存在に気が付いたと分かると夜一郎は一層嬉しそうに笑みを深めた。その表情は宗にとって確かに見覚えのあるものだ。しかし。宗は思わずのけぞりかけた姿勢を元に正す。
「……君はゲームの参加者ではないね」
彼の言葉を受けて夜一郎は満足そうに笑っている。その仕草はやはり、宗のよく知る彼のものなのだが。
「俺を理解してくれて嬉しいよ!」
宗の洞察力は常人を優に上回る。全てがヴァーチャルシステムによって再構成されたものであれ、それが贋物であるかどうかなど見分けることは造作もないのである。つまりどれほどよく出来ていたとしても、彼はNPCなのだ。自分のことをまさしく言い当てられ、夜一郎は声を弾ませたままだ。そして自分に注がれた二人分の訝し気な視線に応えるように言葉を続ける。
「細かい説明は省くけど、ゲーム業界に友人がいる関係でね。新事業の立ち上げに俺のデータをモデルとして提供しているんだよ」
「ざっくりご都合っぽいなあ」
「はは。幸運と言ってくれ」
みかの素直な感想を夜一郎は笑顔で受け止めた。事実、仕事上の関係などはここにいる誰も知る由もなく、彼の言うことを鵜呑みにするしかないのだ。
「まさか君が現れるとは思わなかったが……。まあ本人が直接情報協力しただけあって、一概に贋作とも言い切れない、なんとも煮え切らない出来栄えだね」
宗は彼なりの尺度でいまの状況に納得しているようだ。それはつまり、彼自身の審美眼によるものである。実際その読みは当たっていて、いまの夜一郎は中に別人が入っているなどということもない、完全なる自律で動いている。
「まだいろいろと試運転の段階だから、いろんな思考パターンのNPCがほしいということらしいよ」
「君の交友に口出しするつもりはないがね……、相手は選ぶのだよ……」
自身の分身のようなものが本人の知らないところで動いているなど、宗の感覚からすればぞっとする話だった。だが、それをNPC自身に言ったところで無意味だ。幼馴染と同じ顔をした彼は場違いな喜色を隠さない。おおかた宗から向けられる心配がお気に召したのだろう。その顔を見ていると、宗はここに来てから慢性的に続く眩暈が強まるのを感じた。
「ああ、すまない! 応援したくて出てきたのに、これでは逆効果だね。俺のことは気にせず、クイズ対決を再開してくれ!」
宗が目を回すさまを見て、夜一郎はそう声をあげる。彼の行動は何一つ裏表もないのだろう。ましてValkyrieに妨害をかけにやってきたわけでもない。夜一郎はあっさりと身を退くと、観客の中へ戻っていった。
気を取り直して、『クイズ帝王決定戦』である。宗はひとまず観客席のことは頭から消しクールダウンをはかった。不安げな表情をしているみかのためにも、しっかり出来るところを見せなけばならない。一般的なバラエティの出題傾向は分からないまでも、視聴者を想定していると考えれば常識を逸脱した問題は出さないはずだ。
自らをこのシンセカイの神と謳う、夏目の姿をした進行役は滞りなく出題を述べる。その内容はこうだ。
──ES所属アイドル、ALKALOIDのリーダー 天城一彩の趣味は?
(……なるほど、この手の問題だったか……)
早々に当てが外れて、宗は頭脳を悩ませる。
ALKALOIDのことは彼も知っている。しかしながら当然、個人的な付き合いはない。同じESに所属していると言っても、ほとんど日本を離れている宗には問題の手がかりすら掴めない。日ごろ星奏館で暮らしているみかなら何か知っているかもしれないが……。宗の視線の先で彼の考えを感じ取ったらしいみかが何度も首を横に振った。他人との付き合いの浅さなら二人の程度はそう変わらない。どうやら助太刀は期待できないようだ。宗はひとつ息をついて声をあげた。根拠はないがたとえ思い付きでも答えねばならない。
「ドーナツ屋さん巡り!」
「優勝です!!」
ほとんど食い気味に夜一郎の声が客席から飛んできた。はて、彼は単なる観客でしかないはずだが。
「当たった、ということかね?」
「いやフツウに不正解だヨ」
呆然とした言葉に夏目が極めて冷静に釘を刺す。
「ええー?」
「ええーじゃなイ。大体、君にそんな権限ないよネ?」
やはり、そうらしい。NPCの管理さえろくに出来ていないのだろうか、この空間は。
「いや、ええと。水を差すつもりじゃなくて、ついもどかしさが……」
注がれる宗の眼差しに、夜一郎は取り繕うような声色を出した。どうやらこの夜一郎は随分自分の欲望に忠実な精神構造をしているらしい。しかし不正解の体たらくを見られただけでなく、もどかしいとまで思われるとは。彼が本物でないことが見栄っ張りの宗とっては不幸中の僅かな幸いだった。
「もどかしくはあるけど、もう勝手なことは言わないよ。進行に一方的な干渉が出来てしまってはゲームとしては欠陥品になってしまう」
彼自身の言葉によれば、彼は商品開発の目的で自分のデータを使わせているのだ。それがゲームとしての完成度を妨げてしまうなんて本末転倒だし、データの提供者である夜一郎もけして望まないだろう。そのNPCとして再現された彼もそれを弁えている。彼の見せた行動に宗は舌を巻いた。夜一郎観の「解釈一致」だ。その再現度に感心したのである。
「ほう、どうやらよく学習しているようだ。なかなか優秀じゃないか?」
「宗にいさん、ふんぞり返ってるところ悪いけど負けたから罰金だヨ」
「言われずともわかっている!」
再度釘を刺された通り、あっけなく宗は他チームに負けてしまった。最終問題にすらたどり着けなかったのでこの後もクイズ対決はまだ続く。敗者は邪魔になる前に速やかにステージから降りるべきだ。そこに文句を言うつもりはないからこそ、行き場のない憤りは宗の足取りを荒くする。公然で恥をかかされて、この程度の怒りで済んでいるだけ彼を知る者には奇跡かのように思われるのだが。
さて、しかしこれでValkyrieはいよいよ後がない。宗もみかもそれぞれ頭を悩ませた。そんななか夜一郎の声は暢気なもので、夏目になにやら声をかけている。
「ところでカミサマくん、ここでのデータを現実の俺と共有することは可能かな? きっと俺も見たがると思うんだ」
そう、この模倣品は自分の欲求に素直なのだ。NPCからの再三の干渉に夏目はさほど気を損ねる様子はない。種明かしをすると、今回のシンセカイ騒ぎはSwitchの企画したVRゲーム用プロモーションである。これはアイドルたちを利用した最終テストプレイであり、ここで起こった全てを編集して顧客に発信するつもりだった。勿論、撮れ高の多いValkyrieの尺は多く取ることになるだろう。夏目に彼らを貶める気はない。双方に有益となるように、イメージにそぐわない部分はカットする予定だ。
そんな夏目の思惑に見当がついているらしい夜一郎は目を細めて言った。
「やだな、編集前のデータのことだよ。難しいお願いじゃないだろう? ビジネスの話をしようじゃないか。俺はただのNPCだけど、現実の俺は君たちの役に立てると思うよ」
と、言い聞かせるようにゆっくりと。しかしペースは一切乱すことなく澱みなく言い切る。要求自体は大したことじゃないが、そこには交渉慣れした男の凄みのようなものがあった。
「……とか言ってておっかなかったわあ。あれ、夜一郎さんの考えをもとにできてるんやろ?」
ところ変わって現実。東北でのツアーを終えた宗とみかは生身の夜一郎相手にそこでの土産話をしていた。みかは思わぬところで会った彼のことを、宗はその交友関係を問いただすためだ。
「ははは、困るなあ。ちょっと大袈裟に再現されているんじゃない?」
二人の話に耳を傾ける夜一郎はやっぱり暢気なものだ。
「現実の君が全部知ってるということは取引はしっかり行われたわけだね」
「ははは」
「こら誤魔化すな」
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